お知らせ内容
12月22日 クリスマス礼拝メッセージより
2024年12月22日 クリスマス礼拝メッセージ「小さき中に神宿る」より
牛田匡牧師
聖書 ルカによる福音書 2章1-20節
クリスマスに「人間となって生まれた神の子は、どこに生まれ、誰と共にあったか」と言うと、それは世の中心、清らかさや華やかさからは遠く離れた粗末な家畜小屋でした。そもそも両親のヨセフとマリアは「自分の町に戻りなさい」という命令に従って、ベツレヘムに戻っていましたから、そこには親戚たちがいたにもかかわらず、彼らには居場所がありませんでした。それは恐らく、マリアのお腹の子が、父親不詳の「汚れた罪の子である」という偏見の故だったと思われます。けれども、家畜小屋という出産の場を用意し、その出産を手助けしてくれた女性たちが、確かにいてくれたのだろうと思います。だからこそ、マリアは無事に出産することができました。恐らく、そこで彼らを助けた人たちもまた、当時の社会の中で片隅に追いやられていた方々だったのではないかと思います。自分がしんどい思いを知っているからこそ、しんどい人を見たら放っておけない、という共感の心が、自然と目の前にいる隣り人に対して、手を差し伸べさせたのでしょう。
目に見えない神の代弁者となって権威を振りかざす権力者たちとは、正反対の所に、むしろ権力者たちから抑圧されている側の人たちの間に、神は目に見える人間の姿となって来られました。それが「インマヌエル(私たちと一緒におられる神)」とも呼ばれるイエス様です。だからこそ私たち全ての人の「救い主(キリスト)」だと言われるようになりました。クリスマスに、神が人間になった。それも赤ちゃんとなって、私たちの隣に現れてくれたこと。それは超越的で圧倒的な力をもって、この地上に天変地異を起こして神の存在を誇示するのではなく、むしろ小さきものにこそ神が宿るということ。小さくて壊れてしまいそうな赤ちゃんを抱きかかえる所や、差別されて居場所すら与えられなかった夫婦によりそう所にこそ、そんな小さな小さな私たちの行動の中にこそ、神が共にいて働いて下さっているということを、示しているのだと思います。神は私たち人間の小さな手を介して働かれ、その存在を証しします。そのためにイエス様は、クリスマスに来られました。私たちの日々の暮らしも、働きも、決して独りではありません。神と人とに支えられながら、また一足先に天に召された家族や友人たちにも支えられながら、日々の命が与えられていることを覚え、感謝の内に、またこれからの歩みを進めて参りましょう。