お知らせ内容
2月23日 メッセージより
2025年2月23日 メッセージ「力は弱っている時にこそ発揮される」より
牛田匡牧師
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章 1-10節
神様から祝福され、「神の力、神の守りがある」というのは、どのような状態のことでしょうか。伝道者パウロは「力は弱さの中で完全に現れるのだ」(9節)、「私は弱い時にこそ強い」(10節)と、矛盾するような言葉を、手紙に記しています。ここで言われている「弱さ」とは、パウロ自身の力の足りなさや欠乏のことです。彼は反対者たちが批判するような、特別に優れた能力、他の多くの人々から見て「奇蹟」的で「超能力」的な能力を持っておらず、自分でもそのことを自覚していました。ですが、一方の「力」「強さ」は、パウロのものではなく、神様から与えられるもののことを表しています。そもそも、自分で自分を誇ることができるような人、地位や権力、財産や名誉、健康、そして他者と比べて優れた能力などを持っている人は、神を必要としていません。神を必要としている人は、自分の欠けを知り、弱さを知り、無力さを感じている人たちです(マタイ9:12並行)。
天高く、空の彼方に、輝いている星たちの光は、昼間の明るい時には目に届くことはなく、夜の暗闇の中でしか見ることが出来ません。そのように、神様は常に隣にいて下さっているにもかかわらず、私たちはその力と働きの存在を忘れていることが多く、その事実に私たちが改めて気付かされるのは、私たちの力が弱く、足りなくなった時ではないかと思います。だからこそ「神様の力は、自分が弱っている時にこそ発揮される」のだと思います。「神の力がある」「祝福される」とは、明るく大きく輝き続ける星のように、毎日がハッピー(幸せ)で、嫌なことや不幸なことが全くないこと。事故や病気にも一切遭わず、お金にも食べ物や着る物、住む場所にも事欠かなくなること、言い換えれば、常に「強くいられる」ことではありません。むしろ、「このまま進んでも大丈夫だろうか。このやり方で合っているだろうか」と自信が持てずに不安に怯えている時に、「大丈夫」「一緒にいるよ」と言ってくれ、小さな星の光で導いてくれる。そのような力なのだと思います。たとえ事故や病気、困難に遭ったとしても、それでも絶望に終わらない、ということ。暗闇に閉ざされてしまわない、小さな希望の光は灯り続けている、ということ。「神様は私を見放していない」と信頼して、再び歩みを起こして行くこと。それが「復活(死からの引き起こし)」であり、また「弱っている時にこそ発揮される神の力」なのだと思います。いつも私たちを支えて下さっている神様と共にあって、その力を頂きながら、私たちは今日もここから小さな一歩を歩み出して参ります。