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3月23日 メッセージより

2025/03/23(日)

2025年3月23日 メッセージ「神の力は底辺から」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 161328

 保育園の子どもたちが、これまで「いっぱい大切にされた」という経験と思い出をたくさん持って、「この世界はすばらしい。温かくて、生きていて嬉しい」と感じてくれながら卒園していってくれることは、とても嬉しいことです。これから小学校へ行っても、それから先も、大人になっても、ずっとそう思い続けて欲しいとも、願わずにはいられません。しかし、社会では今も尚、格差があり差別があり、他人を踏みつけたり傷つけたりする権力者や為政者もいます。そのような社会は、本当に「美しくて素晴らしい世界、温かくて生きていて嬉しい世界」と言えるでしょうか。私たちはどこかで一番大切なものを、無くしてしまっているのではないでしょうか。

 今回のお話の中にも、そのようなイエス様の言葉がありました。「人がたとえ全世界を手に入れたとしても、自分自身をダメにしてしまうなら、何の意味があろうか。人には自分自身に代わる値打ちのあるものが、何かあるだろうか」(26)。イエス様ご自身も、「このままエルサレムに行けば殺されるかもしれない」と身の危険を感じていたにもかかわらず、それでも心から確信して決して譲れない道として、やがて十字架へと向かうご自身の使命の道を進まれました。一番大切なものは、表舞台で大勢の人々の目に留まり、称賛を浴びるようなものではなく、決して目立たず、むしろ多くの人からは望まれず、忌避されるようなものの中にあるのかもしれません。前半にある「私はこの岩(ペトラ)の上に私の教会を建てよう」(18)という言葉も同様です。「ペトロ(岩・石ころ)」という名前は、シモンに付けられた「あだ名」ですが、「ペトラ」は、地表に姿を見せている岩や石である「ペトロ」よりももっと大きな岩の塊、地面を深く掘り下げて出てくる岩盤を表す言葉です。ですからイエス様が伝えられたのは、「教会は地上に高くそびえ立つ、きらびやかな建物ではなく、地面を掘り下げた低み、社会の底辺にこそ建つ」ということだったのではないかと思います。

 神の力が働くのは、目に見える石が幾つも転がっている地表ではなく、一人一人の内面を深く掘り下げた岩盤のある所、魂のある所であり、またこの社会の中で多くの評価や称賛の得られる高い所ではなく、むしろ人々から見放されたような、見向きもされない忘れられた底辺です。それでもそこから、いやそれだからこそ、そこから私たちは「この世界は美しく、温かく、生きていて素晴らしい世界」だと、声を上げ、身をもって示す歩みへと、今日も神様と共にあって導かれて行きます。

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