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3月30日 メッセージより

2025/04/06(日)

2025年3月30日 メッセージ「これに聞け」より

水谷憲牧師

聖書 マタイによる福音書 17章 1-9節

 キリストが3名の弟子と共に高い山に上られた時、弟子たちはまぶしく変化したキリストと共に、モーセとエリヤという伝説の預言者たちを目撃するという神秘体験をする。するとペトロがこの預言者たちの間に割り込み、幕屋建設を提案するが、光り輝く雲から「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け(5)」という声が聞こえたので、弟子たちはひれ伏し、非常に恐れた。

 神が私たちに求めているのはきっと、こちらの思い先行で動き回ること(それも大事だが)よりも、聴従することなのではないか。そこにはいつも「神が私たちに求めていることは何なのか」「イエスはいつも私たちに何を語っていたか」という問いがなくてはならない。神の「これに聞け」という声にひれ伏し恐れたというのは、その声により弟子たちが自分よがりの思いに気付かされたからかもしれない。

 しかし、自分の気づかぬうちに自分中心になってしまい、そのことでしばしば落ち込んでしまう私たちだが、そんな私たちであってもキリストは決して見捨てず、いつも寄り添い手をふれて、優しく声をかけて下さる。「彼らが目を上げてみると、イエスの他には誰もいなかった(8)」。たとえ私たちから多くの人々が離れ去って行こうとも、イエス・キリストだけは最後まで私たちを見捨てることはされない、ということを、私たちはいつもしっかりと憶えていたい。

 その後「一同が山を下っている時、イエスは『人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない』と弟子たちに命じられた(9)」。「今見たこと」とは、弟子たちの神秘体験そのもの。しかしそんな神秘体験の感動というものは、なかなか共有しにくいもので、人々にただ触れ回るだけでは伝わらない。神と出会った体験を人々と共有するには、その体験によって変えられた私の姿を、これからの実際の生活の中で周りに証ししてゆくしかない。だからこそキリストは「話してはならない」、口ではなく、身をもって福音を証しをせよ、と言われたのではないか。そのために私たちは「これに聞け」という声を受け止めて、いつもキリストの言葉や姿に自分の姿を照らし合わせつつ、倣いつつ、神との出会いによって変えられた自分を日常の中で証ししながら、歩んでいきたい。

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