お知らせ

お知らせ内容

4月6日 メッセージより

2025/04/07(月)

202546日 メッセージ「下に上る生き方?」

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 20章2028

 誰が最初に言い出したのは分かりませんが、イエス・キリストの生き様を表わす「下に上る生き方」という言葉があります。この後、続く21章では、いよいよイエス様と弟子たちは、古代イスラエル国の都エルサレムへと入城して行きます。弟子たちはイエス様がいよいよローマ帝国による支配から、ユダヤ民族を解放してくださる新しい王様になられる、と期待していた。そしてその際には、自分たちも重臣として取り立ててもらいたい、というような下心を抱いていました。そのような弟子たちに対して、イエス様は「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、あなたがたの中で(かしら)になりたい者は、皆の(しもべ)になりなさい」(26-27)と言われました。イエス様自身が「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」(28)。

 しかし、「上に立ちたいなら、まず下になりなさい」というのは、やっぱり何だか違うような気がしてしまいます。そのような言葉が、記されている背景には、「イエス様は『下に上る生き方』をされたのだから、私たちもイエス様に倣って『下に上る生き方』をするべきだ」というような「上から目線」があるように思います。そもそも、クリスマスに家畜小屋の片隅で生まれ、十字架で処刑死されたイエス様は、その生涯を振り返ってみると、ただの一度も人々の「上」に立ったことなどはなく、イエス様は、ずっと世の低みにあり続けました。そのように自らも苦しい生活の中にあったからこそ、全ての人の苦しみを、他人ごとにはできず、放っておけなかったのだろうと思います。そしてその結果として、十字架での処刑後の3日目に死から引き起こされました。イエス・キリストは私たちのこの地上での重荷や悩み、苦しみを消し去り、雲の上の天上界に引っ張り上げて下さる神ではありません。むしろ、一緒に重荷を負ってくれる神、共に喜び、共に涙してくれる「共感共苦」の神です。たとえ今、どんな暗がりにあっても、神から見放されたと感じ、絶望しかないと感じていても、それでも「あなたの隣に私はいる」「私もあなたと同じ苦しみを経験した」と言って下さり、「だから、あなたは独りではない」と一緒にいて支えて下さる神です。その神様が共にいて下さることを感じながら、私たちは今日もここから、新しい年度、新しい一週間へと送り出されて行きます。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135