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4月20日 メッセージより

2025/04/21(月)

2025420日 イースター礼拝メッセージ「死を超える命」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 28110

 「イースター」は、イエス・キリストが十字架の上で殺された後に、死から引き起こされたことを記念する日です。しかし、「死からの引き起こし」や「復活」と聞いても、具体的にはどのようなことなのか、私たちにはよく分かりません。そもそも「命」というもの自体が、実はどこからどのようにしてやって来るのか、ということすらも、私たちは知り得ていないのではないでしょうか。

 イエス様が十字架上で処刑された後、三日目に「死から引き起こされた」というお話は4つの福音書全てに書かれています。時間帯が異なったり、お墓に行った人物や人数が異なっているなど、詳細は少しずつ異なっていますが、重要なのは、歴史的事実が正確に記述されているかどうかではなく、それぞれのお話が何を伝えようとしているか、ということでしょう。イエス様の遺体を安置したはずのお墓が空になっており、復活されたイエス様は再び故郷であり原点である辺境の地ガリラヤにおられるというこのお話から、私たちが受け取るメッセージは、「肉体の死が全ての終わりではない」ということであり、また「希望は絶望には終わらない」(ローマ5:5)ということではないでしょうか。人間としてのイエス様の肉体は、確かに十字架の上で処刑されて、動かなくなり、息を引き取りました。けれども、その命や魂、思いや志は、決して消え去りはしませんでした。今も確かに、仲間たちの中に存在し、息づき、そしてまたその一人一人を支え、活かす動力源となっています。

 肉体の死は、命の終わりではなく、死を超える命、「永遠の命」があります。もちろん、そのような「永遠の命」を頂いているからと言って、いわゆる「不老不死」になることも無ければ、病気も怪我も一切しなくなることもありません。この世界には今も戦争があり、貧困があり、病気も事故も、災害もあります。けれども、だからと言って、私たちに与えられた「この命には生きる意味がない、価値がない」ということにはなりません。母親の胎内に赤ん坊として形作られ、生まれる前から、神によって命が計画された一人一人です(詩編139)。この地上での歩みを終えた後についても、私たちには神様の計り知れない大いなる計画があるはずです。「死を超える命」があるということ。イエス・キリストがその身をもって示した愛の神は、十字架では決して滅ぼされず、終わることはありません。命の神が、今もこれからもずっと共におられることを胸に、私たちはこれからも生かされて参ります。

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