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5月25日 メッセージより

2025/05/30(金)

2025525日 メッセージ「イエス様のお祈り」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 6115

 「主の祈り」はイエス様が直接「こう祈りなさい」と教えてくださった特別なお祈りとして大切にされてきています。とりわけ「天にまします我らの父よ~」で始まる、文語調の言葉で覚えられている方も少なくないでしょう。しかし、今から2000年前にこの地上を生きられたイエス様が、実際にそのお祈りを教えられた相手の方々は、格式高く、裕福で勉強ができる人たちではありませんでした。むしろ「いろいろな病気や痛みに苦しむ者、悪霊に取りつかれた者、発作に悩む者、体の麻痺した者など、あらゆる病人たち」(マタイ4:24)がイエス様の所に連れて来られており、それらの人たちに向けて語られていました。例えば「我らの罪をも赦したまえ」と訳されている言葉も、もともとは「借金」などを表わす言葉ですから、貧しさの中で借金せざるを得なかった人たち、また返済がうまくいかなくなってしまった人たちの祈りでした。「日ごとの糧(今日の食糧)を与えたまえ」に代表されるくらい日々の生活に密着した素朴なお祈りであったわけです。

 「お祈り」は、自分の内面深くや、遥か遠くの天高く人間を超越した存在へと意識を集中することで、私たちが生活している現実から目を逸らすことに目的があるのではありません。それではカルトと同じになってしまいます。むしろ、様々なことに心騒がされている自分自身から、一旦距離をとって離れて、神様と自分との関係、神様の御手の中に抱かれている自分の存在を確認して、だからこそ信頼をもって、もう一度ここから歩み出せる、勇気をもって踏み出せるというもの。あくまでも心を落ち着かせて、この現実世界に還ってくるためのものであるはずです。そこには人と自分を比べる必要もありませんし、「良いお祈り」や「立派なお祈り」とは何かを議論する必要もありません。

 イエス様が教えられたと言われているお祈りの言葉を、きれいに覚えて暗唱できることが大事なのではなく、イエス様がその身をもって、生きられたように、私たちも共にいてくださっている神様に助けられながら、信頼をもって歩み出せること。それこそがイエス様の教えてくださったお祈りの姿なのだと思います。

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