お知らせ内容
7月6日 礼拝メッセージより
2025年7月6日 メッセージ「口先ではなく態度で示す」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 3章 11 - 18節
「ヨハネの手紙」や「ヨハネによる福音書」には、「愛」に関する有名な言葉が多くあります。「互いに愛し合いなさい」や「神は愛です」という言葉もそれらの一つです。ですが、これらの言葉が書かれた時代背景を考えると、これらの言葉は「自分たちは救われる」と語りながら、その裏返しで「敵対者たちは救われません」と言っている排他的な文書となっています。しかし、イエス様の生き様を見ると、決して「仲間だけを救い、反対者たちを憎んでいた」というわけではありませんでした。ですから、私たちは独善的で排他的なこれらの文書を、改めてイエス様の視座から読み直していきたいと思います。
「永遠の命」(15)とは、「唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)とある通り、天の神とイエス様の心を身をもって知り、それを自身の生き様とすることです。「私たちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。きょうだいを愛しているからです」(14)とは、いわゆる「鶏が先か、卵が先か」のように、私たちはもう既に神様が共に働いてくださっているから、隣人を大切にできるのだとも理解することができます。自分が大切にされた経験がある人は、自然と「他人のことを大切にしたい」と感じるからです。そして最後には「言葉や口先だけではなく、行いと真実をもって愛そう」(18)と呼びかけられています。
先日から、参議院議員選挙が始まりました。今の時代に対する不満・閉塞感を、一部の誰かのせいにする傾向が、ますます強くなってきています。それは日本だけでなく、アメリカでも、ヨーロッパでも、全世界的な傾向として極右政党が力を伸ばしています。しかし、そのようなやり方は、短期的には数の力を得るかもしれませんが、滅びに通じる広き門であることは歴史が証明しています。一方で、救いに至る道、命に通じる門は狭く険しいかもしれません(マタイ7:13)。ですが、隣の人と「お互いに大切にし合う」ということ抜きにして、そもそも人類はこれまでも存続して来られなかったわけですし、そしてこれからも存続していくことはできません。「互いに大切にし合う」そのことを、口先だけではなく、態度と行動でもって示していくように、今日もここから私たちは神様と共にあって導かれていきます。