お知らせ内容
1月11日 礼拝メッセージより
2026年1月11日 礼拝メッセージ「救いの経験」より
牛田匡牧師
聖書 出エジプト記 14章 10-31節
今回のお話は、エジプトの国で奴隷として使役され、過酷で危険な労働に従事させられていた古代イスラエルの民が、モーセに率いられて、エジプトを脱出した際に、目の前の海を歩いて渡り追手から逃げ切ったというお話でした。このお話は歴史的事実と言うよりも、民族の出自を物語る「救いの経験」として記憶されています。物語の中にはこの他にも、いくつもの奇跡が記されていますが、大事なのは「どのような奇跡が何回あったか」ということではなく、むしろ「神が常に共にいて歩まれた」ということなのだろうと思います。
前には海、後ろにはエジプト軍という状況で、モーセは民に向かって「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」(13)と言いました。「恐れるな」とは、ヘブライ語聖書にも、新約聖書にも一貫して何度も述べられている神の言葉です。しかし、ここで注目したいのは、他ならぬモーセ自身もまた、恐れ、心が揺れていたと言うことです。彼は民に「恐れるな、大丈夫だ」と語りながらも、「神様、一刻も早く助け出してください」と痛切に祈ったのでしょう。そのために神はモーセに対して「なぜ私に向かって叫ぶのか」と言われました(15)。「恐れるな。しっかり立て。神の救いを見よ」という神の言葉は、モーセが民に語っただけではなく、自身に対しても語りかけていた言葉でもありました。
祈りとは、「神様、万事よろしくお願いします」ということではありません。「私も怖いし、追い詰められているけれども、それでも一緒にいてくださる神様が何とかしてくださると信頼して、何とかやってみる」ということが本当の祈りであり、それこそが救いの経験につながるのではないかと思います。確かに、もしかするとその結果は自分が期待していたのとは違うものになっているかもしれません。しかし、だからと言って、神から見放され、神が離れて行ってしまっているということではないはずです。今日を生かされている私たち一人一人は、それぞれにこれまでの歩みの中で、生かされて来た経験、助けられ、また救われてきた経験があるはずです。それらの経験を基にして、私たちはこれからも、共におられる神様に背中を押され、支えられながら、この世界に向かって歩み出していきます。





