お知らせ内容
1月25日 メッセージより
2026年1月25日 メッセージより
「言葉・言霊・事ことば」
牛田匡牧師
聖書 申命記 30章 11-20節
「申命記」には、モーセの口を通して、神が古代イスラエルの民に対して語り伝えた数々の律法、教えが記されていますが、最後にそれらをまとめた言葉として、「私が命じるこの戒めは、あなたにとって難しいものではなく、遠いものでもない」(11)と言われています。これは「不可能なものではない=できる」と訳すこともできる言葉です。つまり、神の言葉、神の御心は「自身の心の中にある。良心として一人一人の中に与えられ、備わっている。だからこそ神の言葉に従って生きていくことができる」ということなのでしょう。後半の「あなたは命を選びなさい」(19)も、同様に命の神ご自身が「私があなたと共にいるのだから、命を選び、命への道を歩まないはずがない」と言われているのだと思います。
日本では、「言葉」には「言霊」が宿っているから、「験担ぎ」などをすると何かしらの効果がありそうだ、と考えられていますが、「言葉」を表すヘブライ語「ダーバール」は、「言葉」という意味だけではなく、「出来事そのもの」を表す語でもあります。そのためイエス様を始めとする当時の古代イスラエルの人々の言語感覚としては、「神の言葉」とは、耳で聞いたり、文字で書かれていたりするものではなく、むしろ「神が共に働かれた出来事」(事ことば)そのものだと受け止められていたのだろうと思います。
交通ルールは、年々改正されて、覚えきれなくなっていますが、大切なのはルールを全部知っているということ以上に、安全に配慮して通行するという目的を間違えないことです。信仰においても同様でしょう。聖書にはたくさんの教えが記されており、それこそAIやロボットでなければ覚えきれない分量ですが、本当に大切なものは極々身近にある、私たちの心の中にある簡単なものではないでしょうか。そして、それはイエス様がその身をもって示してくれたように、「私がやったように、あなたたちもやってごらんなさい。きっとできるから」と言ってくださっているように、「隣の人を大切にする」ということ、それただ一つなのだと思います。私たちは今日も命の神と共に、ここから互いの命を生かし合う道を選び、歩み出して参ります。





