お知らせ内容
10月4日 メッセージより
2020年10月4日メッセージ「言葉ではなく、生きざまに信頼する」より
牛田 匡 牧師
聖書 ヨハネによる福音書 10章31-42節
今回の聖書のお話は、イエス様の言葉と行動についての、ユダヤ人との問答の場面でした。イエス様が「私は、父から出た多くの善い業をあなたがたに示してきた。そのどの業のために、私を石で打ち殺そうとするのか」と言ったのに対して、ユダヤ人たちは「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは人間なのに、自分を神としているからだ」と答えました。それに対してイエス様はヘブライ語聖書の「詩編」の言葉を引用して返答されました。「あなたがた指導者は、神々にたとえられる程に、尊い存在ではないか、それなのに何故、天地の創り主である神様の思いに従って行動しないのか。いつまで不正を続け、弱く貧しくされている人々を放っているのか」、また「もし、私が父の業を行っていないのであれば、私を信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、私を信じなくても、その業を信じなさい」とも言われました。
そもそも「神の言葉」と訳されている言葉は、聖書に書かれている文字のことではなく、「神の働いた出来事」のことです。ですから、イエス様が言われたのは、「私が行った業を見れば、それが人から出たものか神から出たものかが分かるでしょう。神様の御心に適った業が行われる時、そこには紛れもなく神様の力が働いている。それが神様が共におられる証しである」というわけです。
今日は「世界聖餐日」です。「聖餐」は英語で「communion」と言いますが、語源は「共に(com-)・一つになる(union)」です。一つの食卓を共に囲み、一つのパンを分け合って食べる。食べるという行為はそのまま命の維持に直結する行為で、生きて行くために不可欠なことです。またイエス様自身が十字架によって殺され、三日の後に死から引き起こされたことの象徴として、裂かれたパンとぶどう酒を頂くことを通して、私たちもまた復活のイエス様と共に生きる者とされていることを覚えます。それは決して「自助」や「自己責任」で語られるような自分の力ではなく、神様の側からの一方的な呼びかけであり、招きであり、恵みです。私たちはイエス様が言われたように、言葉ではなく、その業に注目し、その生きざまに信頼して従って行きます。世界にはまだまだ差別があり、対立、争いがあります。社会の中では格差もますます拡大しています。そのように分断ばかりが目に付く世の中にあっても、共に一つとなって生きて行くように、神様と隣人たちと共に一つになるように、私たちは今日も招かれています。