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2月7日 メッセージより

2021/02/08(月)
2021年2月7日メッセージ「神様の力が働く場所」より
牛田匡牧師
聖書 列王記 下 5章1-14節

 今回の聖書は、紀元前9世紀頃、古代イスラエルの北にある外国アラムの将軍ナアマンが「規定の病(ツァーラアト)」の癒しを求めて預言者エリシャを訪ね、清くされたというお話です。「ツァーラアト」は、律法に規定された皮膚疾患の総称で、それにかかると祭儀的に汚れたものと見なされ、清くなったと宣言されるまでは、共同体から隔離されるようにと定められていました。ナアマンは「イスラエルの預言者のところに行けば、その病を癒してもらえる」と聞き、期待に胸を膨らませてはるばるエリシャを訪ねました。彼はエリシャの家の戸口にまでやって来ましたが、エリシャは表に出ることなく、「ヨルダン川で七度身を洗いなさい」と伝言させました。そのためナアマンは怒って立ち去りますが、やがて思い直して、言われた通りにヨルダン川に下って行き、七度身を浸したところ、彼の身体のツァーラアトは清くなりました。
 ツァーラアトという病に対して、彼のように癒しの奇跡を期待した人々は少なくなかったと思われますが、実際にはそのような奇跡はほとんど起こりませんでした。後にイエス様もその時代には「ナアマンだけが清められた」と語っています(ルカ4:27)。ではなぜ彼だけだったのでしょうか。それは彼が実際にヨルダン川に下って行き身を浸してみた故だったのではないでしょうか。アラムには高い山脈があり、そこからの湧き水が川となっています。一方で、ヨルダン川は海抜下395mで有名な死海へと注ぐ、海抜下の低みを流れる濁流です。「ダマスコの川であるアバナやパルパルのほうが、イスラエルのどんな水よりも良いではないか」と彼が怒って言った通りです。しかし、その低み、人の目から見たら濁っていて、決して清らかには見えない水の中にこそ、神様の力が働いて、彼のツァーラアトは清められました。水に体を沈めるとは、自分の体を死なせるということの象徴であり、自分の価値観に死んで、新しく生き直す。神様の価値観から世界を見つめ直すということの象徴です。「こんな濁った水で、清められるわけがない」という自分の考えを、一旦置いて水に身を沈めてみた。そこに神様の力が働きました。
 私たちが期待する病の癒しが起こるか起こらないかは、信仰の多少に関係ありません。もし熱心な信仰によって病気が治るのであれば、現在、コロナはこんなにも世界中に拡がっていないはずです。病気が治るか治らないかではなく、むしろ「あなたはどこで自分の命を見つめ直しますか」「どこで神様と出会いますか」ということが問われているのではないでしょうか。今、私たちにとっての「ヨルダン川」とは、どこにある、何のことでしょうか。どこに神様の力が働いておられるのか。それらを旨に、私たちもまた神様の命を受けた者として歩み出して行きます。

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