お知らせ内容
3月1日メッセージより
2020年3月1日メッセージ「新しい生命を生きる」より
牛田匡牧師
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章14節―6章2節
教会暦では先週の水曜日から「受難節(レント)」に入りました。この40日間は、イエス様の生涯や死の意味を考え、イエス様に従うとはどういうことなのかを聖書から聴きます。今回の聖書の言葉にも、そのことが述べられています。「その方はすべての人のために死んでくださいました。生きている人々が、もはや自分たちのために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きるためです」(15節)。なぜイエス様が処刑されなければならなかったのか。それは弟子たちにとっては大きな問題でした。そしてパウロの出した答えが、これらの言葉でした。
イエス様と弟子たちが活動した約300年後に、キリスト教はローマ帝国の国教となり、「聖書」は権力者側のものとなって来ました。そして人々の罪の代償・代罰としての十字架という考え方が生まれ、十字架が教会のシンボルになったのも、10世紀の「十字軍」の時代以降のことでした。そのような教会やキリスト教思想の歴史を遡って、歴史の中を生きられたイエス様自身が伝えた福音について考えてみると、それは「全ての命を大切に生きる」という素朴なことでした。2000年前のパレスチナ社会は、社会的・身分的・宗教的に命に優劣・軽重が付けられていた時代でした。そしてイエス様はそれらに異を唱えたために、権力者によって十字架に架けられて殺されましたが、命の神によって3日目に死から引き起こされました。それは命の神からの真実の命、「肉体の死で終わらない命」、「死を超えた生がある」ということを、人々に証明した出来事でした。
パウロが述べていることも、一人一人の人は自身の罪やケガレ、身分や職業に縛られた古い肉体の命に死んで、新しい命に生きる事ができる。キリストによって大切にされた命として、私たちもお互いに大切にし合う新しい生き方ができるということでした。
今後、新型コロナウイルスの感染拡大がどのようになっていくのか。私たちの身の回りの生活、仕事や家庭はどうなっていくのかなど、まだまだ分からないことばかりです。ですが、何が一番大切なことなのか、イエス様がされたように小さくされている命を大切にするにはどうしたらよいのか、それらのことについて神様からの知恵と力と導きを祈り求めて行きたいと思います。