お知らせ内容
3月15日メッセージより
2020年3月15日メッセージ「いのちのパンを食べる」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 6章48-69節
新型コロナウイルスの感染が世界中に拡がり、パンデミック(全世界的流行)との宣言もなされました。日に日に対応が変化するような毎日ですが、そのような中で私たちは「何を大切にして生きているのか」ということを、改めて問いかけられているように思われます。そのことについて、聖書は何と言っているでしょうか。
イエス様は「私は命のパンである」と言われ、さらに「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」とも言われています。ですが、この表現は物理的にイエス様の肉と血を食べたり飲んだりするということではありません。「食べる」「飲む」という行為は、目に見える形で自分自身の中にそのものを取り込む行為です。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる」とあるように、イエス様の血肉を食べるとは、つまりイエス様そのものとつながって一体になることであり、それによって私たちがイエス様の中にいて、イエス様が私たちの中にいるようになる、というとても象徴的な表現です。
神様から頂いた恵みは、独り占めするためのものではなく、周囲の人々と分かち合うためのものです。自分の持っているモノも能力も、一見わずかであっても、たとえ5つのパンと2匹の魚しかなくても、人々の間に分かち合う時、それは豊かに増やされ用いられます。「命のパンを食べる」ということ、それはイエス様につながった者として生きていくということ。私たちはそのような生き方をすることができるのです。
2011年3月11日の東日本大震災から9年が経ちました。あの大震災が無ければ、何万人もの方々は、全然違った人生を歩んでいたことと思います。また家族や家を失ったという直接の被害者ではなくても、あの震災によって生き方が変わったという方々も沢山おられることと思います。9年前のあの時から、人々はこれまでの生き方、価値観を見直したのではなかったでしょうか。あれから9年経って世の中はどう変わったでしょうか。今は新型コロナウイルスへの対応で、落ち着かない毎日を送っていますが、心を騒がせ過ぎることなく、向き合って行きたいと願います。この後も社会はどうなっていくのか、ハッキリとは予測ができないことが続きますが、このような時でも私たちは共にいて下さっている神様によって導かれ、押し出されて歩み出して行きます。