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8月8日 メッセージより

2021/08/09(月)

2021年8月8日 メッセージ「平和の祈り」より

牛田匡牧師

聖書 使徒言行録 20章 17-35節

 今回の聖書のお話は、パウロがエフェソの長老たちに別れを告げた際の遺言とも言える場面でした。パウロはこれまでの歩みを振り返りつつ、忠告と励ましを伝え、最後に自身が身をもって示して来たこと、即ち労働と分かち合いを通して神様の力が働くということを、伝えています。そこではパウロがイエス様の言葉として「受けるよりは与えるほうが幸いである」(20:35)という言葉を紹介していますが、そもそも人に「与える」ためには、まず自分が人に与えられるだけの何かを持っていなければ始まりません。しかし、ガリラヤ地方の貧しい農民たちと共に、歴史の中を生きられたイエス様には、そのように人に与えられるだけの余裕はありませんでした。仕事がなく、お金がなく、その日の食べ物にも着る物にも事欠くような生活の中で、それでも諦めずに願い求め続けること、そこに神様が共におられて、働かれるということを、イエス様はその言葉と振る舞いを通して、伝えられたのでした。そのために、釜ヶ崎の本田哲郎神父はこの言葉を「受けるより、受けたものを分かち合うことのほうに、神からの力が働く」と訳されています。

 私たちにできることは本当に小さく、できないことの方がほとんどです。しかし、そんな自分、持っていない自分、弱い自分を認める所からしか何も始まらないのだと思います。人に与えられるだけの十分なものが、自分にあるわけではありません。この8月には毎年、私たちは「平和」について考えさせられていますが、世界を平和にしていくための何か特別な力を私たちが持っているわけではありません。しかし、私たちは何か特別なものを持っているから平和を造ることができるのではなく、たとえわずかであっても今受けているものを、互いに分かち合うことで、平和は造られていくのではないでしょうか。口では「世界の平和を」と言いながら、核兵器を造り続けている世界です。日本は世界で唯一の原爆被爆国でありながらも、未だに核兵器禁止条約に批准していません。この地球を破壊し、人類の生存を不可能にするような核兵器や原子力発電所を何万と保有しながら、その事実には目を向けず、日々の幸せを求める……。この世界はそんな狂った世界です。その狂った世界の中で、私たちは今日も「生きよ」と命を与えられています。何の力があるわけでもない。誰かに何かを与えられるわけでもない。けれども、そんな私たちでも平和を実現するために用いられていきたいと願っています。神様が共に働いて下さることを信じて、私たちは今日も平和の祈りを心から捧げていきます。

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