お知らせ内容
9月5日 メッセージより
2021年9月5日メッセージ「神は小さくされた者たちの輪の中に」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 18章 12-20節
今回のお話は「迷い出た羊のたとえ」です。群れから迷い出て、見失ってしまった羊を、無事に見つけ出して喜んだというお話で、「当たり前」と言えば「当たり前」のお話です。しかし、今から約2000年前のガリラヤ地方の農民たちは、このお話を聞いて、何を考えたでしょうか。このお話の要点は、「見失ったものを見つけるまで探すこと」と「見つけたら、皆でともに喜ぶ」ことの2点だと考えられますが、そんな「当たり前」のことが、当時の人々の間で失われつつあったからこそ、イエス様はこのお話をされたのではないかと考えられています。なぜなら、ローマ帝国の植民地支配下で、農民たちの間でも格差が拡がり、大多数の農民が貧民化・奴隷化して行っていたからです。そのために誰かが困った時には助け合い、喜びは皆で分かち合うという、「当たり前」の伝統的な共同体意識も、失われつつありました。
先の見えない抑圧状況が続く中、人々の心は狭くなり、横のつながりもバラバラになって行く中で、「あなたたちは『迷い出た一匹』『失われた一人』を見捨てていないか」と問いかけ、仲間たちとのつながりが失われないように、という思いがあったのではないでしょうか。自分たちが一生懸命に取り組んでみても、なかなか目に見える成果が出ない。それでも諦めることなく、仲間たちと一緒に取り組んでみる……。自分でも無力だと感じているような私たちだけれども、二三人が集まって協力し合う中に、「私もいるよ。一緒にいるから大丈夫。諦めないでやってみて」と神様は言って下さいます。
神様は小さくされた者たちの輪の中に共におられ、それらの手を通して働かれます。今、このコロナ禍の中を生かされている私たちは、どこに目を向け、何を大切にすればよいのでしょうか。日に日に感染者は増え続け、周りでも感染してしまい、「どうしようか」「困った」という声も聞かれています。そんな中、私たちには一体何が出来るでしょうか。出来ることは何もないようにも感じてしまいます。何をしたらよいのか、明確な答えは分かりません。ですが、私たちは諦めません。神様は小さくされている人々の苦しみを最優先される方です。そしてそのような人たちが集まる輪の中に、共にいてくださいます。私たちは今日も、その神様から力と励ましを与えられて、ここから歩み出して行きます。