お知らせ

お知らせ内容

10月17日 メッセージより

2021/10/18(月)

2021年10月17日メッセージ「神(非)対応」より

岡嶋千宙伝道師

聖書 ヨブ記 23章 1-9、 16-17節 


"BansOff Our Bodies"(わたしたちの身体を規制対象とするな!)

 三週間前の土曜日、中絶規制に反対する集会がアメリカ各地で行われました。その集会に先立つ930日、アメリカ議会で委員会が開催され、牧師でもあり議員でもあるCori Bushさんが、若い頃にレイプの被害に遭い中絶を選択した経験を踏まえて次のように語りました。「これまでに中絶を選択し、これから選択しようとしているすべての黒人の女性たちと少女たちへ。恥ずべきことは何もありません。わたしたちの住む社会が、わたしたちの愛と正義とを法律に反映させることに失敗したのです。だから、わたしたちは、より良いものを受けとるべきなのです。だから、わたしたちは望むのです。わたしたちにはその価値があるのです」

 自分の意思に反して、自分ではないところに起因する何かしらの力によって、生き方、価値、存在を左右されていくことへの怒り。ヨブが三人の友人たちに向けた怒りも、そのような怒りでした。宗教・民族の伝統、あるいは伝統に基づく社会通念。具体的な個々人ではなく、平均化された人間が良しとするであろう宗教的・信仰的な「正しさ」を掲げて、ヨブを罪人とみなし、ヨブ自身には全く見に覚えのない悪い行い/罪を悔い改めよ、と迫る友人たち。そこには、今ここにある、ヨブ個人の経験、痛み、苦しみ、思い、が入り込む余地はありません。だから、ヨブは怒った。ですが、ヨブの怒りは、翻って、ヨブ自身にも向けられています。さらには、ヨブ記を受け取り解釈するわたしたちを含めた後代の人々に対しても向けられうるものであることを忘れてはなりません。

 教会が、人権侵害を助長する場、抑圧を肯定する場、差別を産み出す場になってはいないでしょうか。「信仰の正しさ・一致・純粋さ」が高らかに語られ、家父長的・家族主義的な思想と相まって、差別の構造が二重にも三重にも張り巡らされているのだとしたら。被害者が声をあげることができず、加害者が語る声だけが響く環境になっているのだとしたら。個人の痛み、うめき、苦しみが、なきものにされてしまわないように。神という名をかりて、信仰的正しさを掲げて、家族の純粋さを名目にして、わたしたちの身体を、思いを、感情を、経験を、縛り付ける力が蔓延ることのないように。わたしの怒り、あなたの怒り、あの人の怒り。わたしたちは、強制される不利益に対して、怒りをあらわにし、思いを共にあわせていく必要があるでしょう。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135