お知らせ内容
10月31日 メッセージより
2021年10月31日 メッセージ「どうして顔を伏せるのか」より
牛田匡牧師
聖書 創世記 4章 1-16節
今回の聖書のお話は、最初の人間であるアダムとエバから生まれたカインが弟アベルを殺す、というお話です。カインとアベルはそれぞれ神への献げ物を持って来ましたが、神は弟アベルの献げ物に目を留め、兄カインの献げ物には目を留めませんでした。それでカインは怒り、アベルを殺してしまいます。激しく怒り、顔を伏せたカインに向かって神は「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか」と言われました。「もしあなたが正しいことをしているのなら、顔を上げられるはずではないか。正しいことをしていないのなら、罪が戸口で待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない」。この言葉は、怒ることそれ自体が罪だと言っているのではなく、その感情に支配され振り回されないように、治めなければならない、ということを言っているのだと思います。ですが、カインにはそれが出来ませんでした。「自分が評価されないのは、アベルのせいだ、神のせいだ。自分は悪くない。自分が怒っているのも当然のことだ」……。そのようなカインの思いが、アベルを殺しました。
自分の献げ物に目を留めてもらえなかったのは、実はたまたまだったのかもしれません。ですが、その事実と向き合えずに彼は激しく怒り、また自身の中に渦巻く激しい怒りに対しても、それを支配し、治めることが出来ませんでした。その結果、彼は呪われる者となり、地上をさすらう者とされますが、その後に及んで漸く彼は自分が犯してしまった過ちの大きさに気付き、恐れおののきます。しかし、神はカインの命を奪うことなく、カインに「しるし」を付けて、生かしておきました。罪人にやり直しのチャンスを与えられたというわけです。大きな過ちを犯してしまったとしても、その事実から目を逸らすことなく、顔を上げて、その事実と向き合い、償いの道を生き直そうとする罪人を、神は決して見捨てられません。なぜなら神の選びはそのような者をこそ選び、イエス・キリストが来られたのも、そのような人々を招くためだったからです(マタイ9:13)。
「どうして顔を伏せるのか」。確かに目の前には自分にとって都合の悪い、見たくない現実、顔を伏せたくなるようなことが、たくさんあります。けれども、私たちは今日も、弱く小さくされている人たちを選ばれ、罪人を招かれる神様と共にあって、顔を上げて自分と向き合い、隣人と向き合い、そこから互いに変えられていく生き方へと導かれていきます。