お知らせ内容
11月14日 メッセージより
11月14日 降誕前第6主日礼拝(障がい者週間)
メッセージ「惑わされるな!」 より
水谷 憲 牧師
聖書:マルコによる福音書 13章 5-13節
私たちの社会は、技術は進歩し生活も便利になり続けている。しかしそれに合わせて社会が成熟してきたかというと、むしろすごい勢いで悪くなってきている気がする。大人も子どもも男も女もモラルは低下し、自分の命も他人の命も軽く傷つけられ失われてゆく。自然環境保護の地道な努力も効果が感じられず、自然災害、戦争や紛争も、一向になくならない。私たちの住む国も、憲法が現実的でないから変えてしまえと声高に訴える政治家をはじめ、他国や他民族、同胞でさえ、気に入らぬと思えば平気で口汚く侮辱する者がネット上でもリアルでも増えている。私たちの将来はどうなってゆくのか。
弟子たちが美しい神殿をほめていると、イエスが神殿の崩壊を予告したので、弟子たちは「それはいつ起こるのですか。そのことが実現する時には、どんな徴があるのですか」と尋ねる。誰にとっても未来のことは、今も昔も大きな関心事。できることなら、特に自分の未来の事は先に知りたくなる。しかし弟子の質問に対してイエスはただ「人に惑わされないように気をつけなさい」「自分のことに気をつけていなさい」と言うのみ。それは、決して人の言うことに惑わされず、振り回されず、不安定な状況だからこそ、自分をしっかり持った生き方をしなさい、という弱い私たちへのメッセージか。この教えは弟子たちですら自分のものにできなかったが、思えばこれを京王線のジョーカーともちゃんと分かち合うことができていたら、どうだったろうか…とも考える。
戦争の噂、地震や飢饉、世の混乱に政治の乱れ…「もはや世の終わりだ」とあきらめてしまいそうになる。しかしイエスは、それでも「まだ世の終わりではない」、「これらは産みの苦しみの始まり」なのだと言う。絶望的な出来事が次々と続く中でも、いやこれは乗り越えることができる、この先に神は必ず何か良いものを用意して下さっている、神は乗り越えられない試練を私たちにお与えにはならない、終わりではなく今こそ「始まり」なのだ、と前に進もうとすることこそが、キリストが私たちに示される世界の見方なのだ。
そして試練を乗り越えようとする中で私たちが権力者の前に立たされようとも、多くの人から一方的な誤解を受けようとも、私たちのなすべきことは私たちが神様から受けた御言葉を伝えること。この世を恐れるあまりにキリストの名を恥じて隠すのではなく、むしろ高く掲げて歩む者とされたい。耐え忍ぶとは、神の救いと愛を信じて、希望をもって生きていく前向きな姿。キリストも決してあきらめることなく、希望を持って最後まで耐え忍んだ。その先にこそ、復活の栄光があったのだ。私たちも、将来への不安をかき消すくらいの圧倒的な希望を心に、キリストの名を高く掲げて一緒に歩んでいこう。