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1月23日 メッセージより

2022/01/24(月)
2022年1月23日メッセージ「試練と信仰」より
牛田 匡 牧師
聖書 ペトロの手紙 一 1章3-12節
 今回の聖書は、迫害や困難の中にあった地方の人たちを励ますために書き送られた手紙でした。「今しばらくの間、さまざまな試練に悩まなければならないかもしれませんが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊いのです」(7)。これらの言葉によって、困難の中にあっても励まされ、再び立ち上がる力を得られた人々は少なくなかったのでしょう。「試練」という言葉の元々の意味は、「試す」「試みる」という意味です。火に入れられて不純物が溶かされ、本物かどうかが明らかにされていく、ということではないかと思います。不条理としか言いようがない困難に遭った時に、「これは自分に与えられた試練なんだ」「この試練を通して、自分は磨かれていくんだ」と思える人がいる一方で、そう思えない人がいることもまた確かなことです。聖書の中には、「神はあなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(コリントⅠ 10:13)という言葉もありますが、その出来事が「試練」かどうかを決めるのは、あくまでも自分自身であり、他人ではありません。さらにそう思えるようになる時期も、人それぞれなのではないかと思います。
 「信仰があれば、試練の中でも守られる。試練はやがて乗り越えられる」と言う時、それがどのような形で、いつ頃になるのかは、人それぞれです。すぐに答えが出るか出ないかに一喜一憂することは、自分で自分を評価し、値踏みしていることです。むしろ、様々な試練や困難がある中でも、それでも自分は一人ではないということ、命を与えられている神様が共におられて、支えられているということに信頼して、諦めずに歩みを起こすこと、そこにこそ救いがあり、希望があるのではないでしょうか。世界中で新型コロナウイルスの感染がまん延し、何が正しい対応なのかが分からなくなってきています。右か左か、成功か失敗か、すぐに白黒の判断がつかないことも多くあります。そのような現実の中でも、命の神は私たちに「命を選びなさい」(申命記30:19)と言われます。そして「あなたはそれを行うことができる」(申命記30:14)とも言われます。自分の力で行うのではなく、共におられる神様によって支えられ、助けられて、私たちは今日も歩みを進めていきます。

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