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3月6日 メッセージより

2022/03/09(水)
2022年3月6日メッセージ「この苦しみは何のため」より
牛田匡牧師
聖書 ヘブライ人への手紙 2章10-18節
 今回の聖書の手紙が書かれたのは、イエス様が十字架で殺され、三日目に引き起こされてから数十年後かと考えられていますが、「あのイエス様の受難、十字架による処刑は、何のための苦しみだったのか」ということがテーマとなっています。イエス様は私たちと同じ生身の身体を持った人間としてお生まれになりました。そしてイエス様自身が試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになったと記されています。
 私たちの日々の生活の中には、様々な苦しみがあります。今日で言えば、新型コロナウイルス感染症があり、経路不明の感染や容体の急変があり、予期せぬ突然の別れもあります。その他にも、事故や病気、障がいなどもありますし、また仕事を失い、衣食住を失う貧困があり、差別もあります。さらに戦争があり、人の手によって他者の命が傷つけられ奪われています。思わず「この苦しみは何のためなのか」と叫びたくなることも多くあります。そして多くの場合、その答えはすぐには出ません。むしろすぐに出る答えは、唯一の正解なのではなく、答えは時と共に変化していくものなのかもしれません。イエス様自身、十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)という絶望の叫びをあげました。「命の神への揺るぎない信仰があれば、絶望することはなく、苦しみの意味や目的も分かって悩むことがない」などということはありません。時に悩み、絶望することもあります。しかし、聖書全体を通して、私たちに告げられていることは、命は絶望には終わらないこと。肉体の死を超える絶対の命、永遠の命があるということ。今は悩み苦しんでも、その意味や目的はいつか必ず見出していくことができる、ということなのではないかと思います。なぜなら、ご自身も受難され、苦しまれたイエス・キリストがいつも共にいてくださっているからです。
 今も世界では苦しみに叫ぶ声があり、子どもたちは泣いています。一刻も早く愚かな戦争が止むように、剣に対して剣を取るのではなく、非暴力と不服従で世界中が向き合えるように祈り求めていきましょう。また身の回りにも多くの悩みや苦しみがありますが、それらに押しつぶされてしまうことなく、仲間と共に、また神様と共に、その苦しみにもやがて意味や目的を見出していくと信じて、私たちは今週も神様によって導かれて、歩み出していきます。

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