お知らせ内容
4月12日メッセージより
「明けない夜はない」という言葉があります。しかし、長い夜を抜けて夜明けを迎えた時、そこに広がる世界は夜になる前にあったのと同じ世界なのでしょうか。9年前の東日本大震災の後、「震災以前の社会、価値観に『復旧』するのではない。新しい社会、生き方へと『新生』していくんだ」と訴えていた方々がいたことを思い出します。聖書の中には、「火という試練によって人やモノは精錬される」ということが、しばしば書かれています。今、新型コロナウイルスという火に見舞われた世界は、これから精錬されていき、これまで「価値あり」と思っていたことの数々が、坩堝(るつぼ)を経て、メッキがはがされて燃え尽きたり、単なる石と思っていた中から金が出て来たりしていくのではないかと思っています。
思えば、このイースターの出来事もまた、そのように人々の価値観や生き方をひっくり返した火の試練、坩堝の出来事でした。安息日が終わった夜に二人の女性がお墓に急いでいました。きっと心の中は、イエス様を見殺しにしたという悔恨の念でいっぱいだったのでしょう。しかし、神はそのイエス様を死の中から引き起こされました。喜びに満たされた二人が、今度は他の弟子たちに知らせようと走っていると、待っておられたイエス様が「ガリラヤで私に会えるだろう」と言われました。ガリラヤとは、イエス様と女性たち、弟子たちが出会った地であり、古くから弱く小さくされている人々、しんどい思いをしている人々がいた地でした。復活されたイエス様は今も、一番しんどい思いをしている人の所に共におられます。
イエス様の復活、死からの引き起こしは、十字架以前の状態に戻るという単なる「やり直し」「復旧」ではありませんでした。イエス様が逮捕、処刑された時には散り散りに逃げていた弟子たちは、この後「復旧」ではない、新しい生き方へと歩みを起こされて行きました。現代を生かされている私たちもまた、この新型コロナウイルスの全世界的流行という困難の中にあって、復活のイエス様と共に新しく生き直す道、新しい命、死を超える「永遠の命」へと招かれているように思います。
今、世界は「すべての命を大切にする」歩みをしているでしょうか。坩堝の中で全てが溶かされてから、再び構築されていくもの、本当に大切なもの、死を越える命、それらを求めて行きたいと思います。イエス様の復活を覚えるこのイースターに、私たちは改めて「すべての命を大切にする」歩みへと、イエス様と共にあって新たに導かれて行きます。