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7月3日 メッセージより

2022/07/06(水)

2022年73日メッセージ「少女の言葉、少年の体」より

岡嶋千宙伝道師

聖書 列王記 下 5章1-, 914

 「変われないって、勝手に決めつけるな!」少し前のテレビアニメ「NARUTO -ナルト-」で、主人公のうずまきナルトが、ライバルの一人に向けて放った言葉です。人は変われるのか。世界は変えられるのか。本日の御言葉に登場する二人の人物。「アラムの王の将軍ナアマン」(51)と、「イスラエルから捕虜として連れて来られた少女」(52)。国籍も、身分も、財力も、年齢も、人生経験も、性別も、全くの正反対。物語の場面となるアラムの国の社会通念からすれば、その国の権力者であるナアマンの方が、少女よりも圧倒的に優れているということになります。ですが、ナアマンには、ひとつ、自分でもどうすることのできない負い目がありました。「規定の病」を患っていたのです(51)。その病、ナアマンにとっての負い目を取り除くきっかけを作ったのは、ナアマンとは正反対の存在であった少女です。権力をほしいままにし、力を誇示できる者と、力を奪われ、社会から見放された者。その二人が出会い、交わる。互いを隔てる境界線を越えるということは、どちらにとっても、かなりハードルの高いことであったことでしょう。本日の物語では、ナアマンがためらい、葛藤しながら越境していく様子が詳しく描かれていますが、ナアマンより先に、もっと厳しい状況下で、大胆に、潔く、自分と他者とを分け隔てる壁・線を越えていったのは、むしろ少女の方だったはずです。2千ページほどもある聖書の中で一ヶ所だけ、しかもたった3節という短い記述の中で、名前も記されずに、そっと登場している脇役。その彼女が、国籍の違いも、身分の違いも、財力の違いも、権力の違いも、性別の違いも、すべて越えて、ナアマンのことを思い、言葉を紡いだからこそ、ナアマンの病が癒されたのでした。

 わたしたちが主として仰ぐイエス。その歩みを振り返るとき、常に、異なりを悠々と越えていく姿を目撃します。異なりを持つ人たち、なかでも、社会の多数から、「劣る」と見なされていた違いや異なりを持つ人たちを、心から愛し、共に生きる道を歩み続けたイエス。最も小さくされた人、自分の意思とは関係なく社会の底辺に追いやられている人。その人たちの存在に目を向け、声や言葉に耳を傾ける。いや、単に目を向けて、耳を傾けるだけではなく、自らがその者たちの存在を身に引き受け、その人たちと共に生きていく。そこにこそ、イエスの福音のメッセージが、光を放って輝いているのです。

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