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7月10日 メッセージより

2022/07/10(日)

2022年7月10日メッセージ「大きいことはできないけれど」より

牛田匡牧師

聖書 エステル記 4章10-17節

 「あなたの今があるのは、この日のためだったんだ」「この働き、この務めを果たすために、今までがあったんだ」そのような言葉をかけられると、多くの人は使命感に目覚め、心が焚きつけられるのではないかと思います。『エステル記』の主人公エステルも、ペルシャという異国の地の王宮に入り、王妃になったことで、養父モルデカイのこの言葉によって立ち上がり、同胞であるユダヤ人の命を救うことができました。また今年で100年を迎えた「全国水平社宣言」もまた、それを聞いた被差別の多くの人たちを立ち上がらせました。それは踏みつけられ、絶望の中に沈み込んでいた人々にとっての、死から引き起こしであり、されるがままの姿勢から、自ら立ち上がり歩み出すという生き方の転換でもありました。しかし、気を付けていないと、そのような使命感は独り善がりの独善や、排他主義にもすぐに結びついてしまいます。

 桃太郎が鬼を退治して「めでたし、めでたし」なのと同じように、『エステル記』もユダヤ人たちを救い出し、そんなひどい計画を立てた宰相とその一族は処刑されて「めでたし、めでたし」となっています。昔話としては、分かりやすい筋書きですが、現実は違います。差別をされてきた人たちが、差別をしてきた人たちに仕返しをしたところで、何も有益なものは生まれません。戦争もそうです。そこに残るのはただ破壊だけです。聖書の中で、命の神は、何度も何度も「恐れるな」と人々に呼びかけられました。恐怖心は、柔軟な心を頑なにして時に暴力を生みます。悪者と思われる相手を暴力によって排除したところで、新たなる暴力の連鎖を生むだけです。むしろ差別や暴力の構造を無くすためには、「命を大切にする」というすべての命を造られた神様の御心にしたがって、互いに認め合い赦し合い尊重し合いながら、共に生きていく関係性を作っていくしかありません。

 私たちには、大きいことはできません。「自分には大きいことができる。その使命を果たすために、これまでの苦労があったんだ」……。そのように思う時、私たちは自己正当化、独善と排他主義と、紙一重の所にいます。むしろ、大きいことはできないけれど、たとえ小さくても心の中を恐れや不安でいっぱいにしてしまわないこと、今与えられている命やもの、こと、場所に感謝すること、自分自身と周りの人たちの関係性、一つ一つの命を大切にすること。それらを通して、私たちはこの世界を善いものに作り変えていく、命の神様の御心に満ちた「神の国」が実現していくことの、小さなお手伝いをしていくのだと思います。

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