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7月17日 礼拝メッセージより

2022/07/18(月)

2022年7月17日メッセージ「偽りの夢 真実の夢」より

牛田匡牧師

聖書 エレミヤ書 23章16-32節

 今回のお話は、預言者エレミヤの言葉でした。預言者は、神の言葉を人々に告げる存在ですが、エレミヤ以外にも何人もいました。そして人々に「あなたがたには平和が臨む」「災いは来ない」と優しい預言を語る預言者たちがいた中で、エレミヤは反対に「もうすぐ苦難が来る。裁きが来る」という厳しい預言を語りました。どちらが真実の預言で、どちらが偽の預言なのか。その結果は歴史が証明しています。今、聖書を読んでいる私たちは、その後の歴史を見て、エレミヤの方が真実の預言をしていたと知っています。しかし、もしも自分が当事者として生きている時に、「このままでは苦難が来る」という厳しい言葉と、「神様が一緒にいてくれるから、私たちには災いは来ない」という優しい言葉とが告げられたら、私たちはどちらの言葉に耳を傾け、どちらの方向に歩んでいくでしょうか。

 しかし、そもそも「〇〇すれば、こうなるだろう/はずだ」という考え方自体が、本当に真実なものなのでしょうか。私たちの目から見て、たとえどんなに正しい人、立派な人、信仰深い人であっても、病気になることもあれば、事故に遭ったり、災害に見舞われたりすることもあります。むしろ、いい人の方にばかり、苦難なのか試練なのか、しんどいことがたくさん与えられているようにすら感じることもあります。「何故、どうして」と思います。それこそ「神様はどこにいるのか」とすら感じます。しかし、聖書は「神は、天をも地をも満たしている」(エレミヤ2324)と言い、「私たちの方こそが、神様の御手の中にいる」(詩139:5)と告げています。それは「正しい信仰を持ち、神様の御手の中に生かされていることに気付いていれば、災難に見舞われることはない」ということではありません。聖書が告げているのは、「〇〇すれば、こうなるはずだ」「こうなったのは、〇〇しなかったせいだ」という考え方からの脱却、卒業です。言い換えるならば、「どんなに苦難や試練に見える中でも、そこでも命の神が隣にいて、共に歩んでくれている」「そこが神様の御手の中」ということです。「偽の預言」「偽りの夢」に目を向けて、その事実から目を逸らすのではなく、神様からの助けを得て、神様と共にあって、今、この時の現実に目を向けて、その現実を受け止めて歩み出そうということです。

 私たちの目の前には、すぐには正解が分からない課題もあれば、右と左とどちらを選べばよいか分からないこともあります。そのような時も、すぐに答えを出そうとするのではなく、命の神の御心はどこにあるか、イエス様ならどうするかを祈り求めながら、私たちは今日もここから歩み出していきます。

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