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7月31日 メッセージより

2022/08/04(木)

2022年7月31日メッセージ「太陽と傲りの中で」より

岡嶋千宙伝道師

聖書 コヘレトの言葉 12, 12-14節、218-23

 「イスラエルの王」と名乗る人物が残した言葉、「空の空。一切が空」「太陽の下で行なわれるすべてが空しい」。誰もが当然に求めるであろう財産、名誉、地位、権力、快楽、そして神を畏れるイスラエルの民にとって常識である善を行うことですら、すべてが無意味。国民の幸福を願い求めることが王としての最大の責務であるはずなのに、「一切が空」と断定する世界観。いったい、何が起こったのか。この言葉の背後にはどんな思いがあるのか。「コヘレト」、人の名前なのか、役職名なのか、はっきりしない。いずれにしても、「イスラエルの王」という存在と容易に結びつけられる言葉ではない。「コヘレト」は、女性をあらわす言葉。聖書に登場するイスラエルの王はすべて男性。だから、王と名乗る人が、コヘレトであるはずがない。なのに、この人物は、自分はコヘレトであると語る。あるいは、この人が、社会通念として想定される性のあり方とは異なる生き方をしているとしたら。当たり前ではない性と生。違うことを理由に、社会の中心にいる人々から嫌われ、排除され、忘れられ、太陽の下に出ることを許されない。普段は陽のあたらない闇の世界に生きるその人が、太陽の下の世界に姿を現す。しかも、その世界で一番の権力者である王の姿をして。

 「一切が空」そう語るのは、太陽の下で当然とされることの背後に、忘れられている存在があるから。陽の光を浴びて生きる人たちが目を向けようとしない生の現実があるから。多数の枠から外され、財産も、名誉も、権力も、快楽も、一切を手にし得えず、次の瞬間に己の命がプツンと切れそうな状態にありながら、それでも必死に、日々の一時一時を、与えられた今を、愛する者と共に生きようとする人々がいるから。救い主、キリスト。社会の常識、多数にとっての当然を軽々と越え、追いやられた人々と共に生きることを選んだ方。その人イエスに惹かれ、その思いを引き継ぐ決意をした人たちによって築かれた教会。太陽の下で身に付けなければならない着物を着るのではなく、当然という服、常識という衣装をまとうのでもなく、あるがままに、ありのままのわたしの姿でいたい。一切が空。だから、嘆き、絶望するのではない。だからこそ、神に与えられたこの瞬間を喜び、わたし自身の生を謳歌する。コヘレトと共に。イエスと共に。隣人と共に。教会というこの場所で。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

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