お知らせ内容
4月19日 メッセージより
2020年4月19日メッセージ「あなたがたに平和があるように」
牛田 匡 牧師
ヨハネによる福音書 20章19-31節
「人はその立つ場所により、見るものが異なる」という言葉があります。今の新型コロナウイルスに対する施策を見ても、そのことを思わされますし、また私たち自身にも同じことが問いかけられているように感じています。私たちはどこに立ち、何を見ているでしょうか。そしてまたイースターに復活されたイエス・キリストはどこに立ち、何を見つめていたのでしょうか。
今回の聖書は、イエス様が十字架上で殺されて3日目に死から「引き起こされ」復活し、お墓から出てきたお話の続きです。弟子たちはイエス様を十字架につけたユダヤ人たちを恐れて、家の戸を閉めて閉じこもっていました。外からは誰も入って来られないはずだったのに、ふと気づくとイエス様がみんなの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。現代の日本語のニュアンスで言うと「大丈夫。心配しなくていい」といった所でしょうか。弟子たちはこのイエス様の言葉に、励まされ、安心出来たのではないかと思います。さらにその場に一緒にいなかったトマスという弟子がいました。彼は仲間たちが「主を見た」と言っても、実際に会って見ないと自分は信じないと言いました。それは「復活なんてあり得ない」という主張と言うより、自分だけがイエス様に会えなかったという悔しさや妬みの故の言葉だったのかもしれません。しかし、そんなトマスや弟子たちの所に、再びイエス様は現れました。「あなたがたに平和があるように」……。復活の神、死すら越えられる方は、恐怖に怯えて閉じこもっている人たちの所に、扉を越えて現れ働きかけて下さいます。仲間を信頼することが出来ず、卑屈になっている人の所に現れて下さいます。
今、病気と必死に戦っておられる方々、また「家にいなさい」と言われ家の中でストレスをためて衝突してしまう家族、仕事が無くなり収入が無くなってしまった方々がいます。また医療や介護、消防など、人々の命を守るために日夜働いている方々がいます。十字架での死から引き起こされ今も生きておられる神様は、そのような方々と共におられます。決してゆとりがあるわけでもなく、その日その日をつないで行くことに必死になっている人たちの間にこそ、イエス様は現れます。特別な力も能力も持たない臆病な私たちですが、神様はそんな私たちを用いられます。「あなたがたに平和があるように」。そのために私たちは今日も、命の神、復活の神様と共にあって派遣されて行きます。