お知らせ内容
8月7日 平和聖日礼拝メッセージより
2022年8月7日 平和聖日礼拝メッセージ「弱さを中心に生きる」より
牛田匡牧師
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章14-26節
「一番小さな環も、鎖にしっかりと組み合わされている時にのみ、鎖は切れることはない」(ボンヘッファー)という言葉があります。様々な大きさや太さの環から成り立っていっている鎖ですが、それらが一本の鎖でいられるのは、一番小さな環に合わせた力で引っ張られている時だけ。その環の限界を超えて引っ張ったら、鎖は切れてしまいます。ですから、「一番小さな環を優先し、その環に合わせている時にのみ、その鎖は一本の鎖でいられる」とも言えます。今回の聖書に述べられていることもまた同様で、体が一つの体として調和を保つためには、一番貧弱に見える部分、弱く、劣っていると思われる部分こそを優先させること、それが全体の一致の秘訣であるということなのではないかと思います。聖書で「平和」を表す言葉「シャーローム」の元々の意味は、「欠けが全くない状態」や「完全にバランスが取れている状態」だそうです。しかし、そのような状態は、私たちの生活の中ではほとんどないのが現状です。どうすれば欠けが全くなく、バランスがとれ、平和を実現できるのか。それは最も脆くて、傷つきやすく、弱い部分を大切にすること。自分の中の「弱さ」から目を背けるのではなく、むしろその「弱さ」を中心に据えて向き合うこと、弱さを中心にして生きることではないでしょうか。
「バリアフリー」という言葉も、よく耳にされるようになってきました。エレベーターにせよ、多目的トイレにせよ、障がいや病気を持っている方々など、少数派と言われる方々に使いやすい設備や環境は、全ての人にとって使いやすい設備や環境です。多数派の意見だけが通る社会では、少数派の意見は無視され、排除されますが、そのような社会では多数派の人も、いつ自分がそこから脱落し排除されてしまうかに、常に怯えていなくてはなりません。そのような怯えや疑心暗鬼が戦争の根源なのではないでしょうか。弱さを隠し、弱くならないように虚勢を張るのではなく、むしろ弱さを中心にした社会、生き方こそが、全ての人にとって生きやすい、目指すべき平和な社会なのではないかと思います。
平和をつくっていくために、私たちはとても小さな存在です。それでも私たちが、自身の限界や弱さに目を背けて、蓋をすることは、隣の人の弱さを裁き、叩くことへとつながってしまいます。自分自身の中に確かにある弱さを大切にして、また身近で弱く小さくされている人たちを大切にしていくことができるように、命と平和の源である神様と共にあって、私たちは導かれていきます。