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8月14日 メッセージより

2022/08/15(月)
2022年8月14日メッセージ「互いに平和をもたらし合う」より
牛田匡牧師
聖書 マルコによる福音書 9章42-50節
 「塩」は現代でも、人間が生きていくのに不可欠のものです。しかし、冷蔵庫もなかった昔は、食料を保存するために塩漬けにする必要があり、塩の必要性はとても高かったと思います。ヘブライ語における食卓での「塩の分かち合い」は、日本語の「同じ釜の飯を食う」という言葉と同じく、親しい仲間を表す表現でもありました。腐敗を防ぐため、また互いに必要不可欠なものを与え合い、補い合うことによって、互いに平和をもたらし合うことができるのだ、というイエス様の言葉は理解しやすいことのではないかと思います。
 しかし、難しいのが、「人は皆、火で塩気を付けられねばならない」(49節)です。ここで述べられている「塩気(塩味)」とは何か。釜ヶ崎の本田哲郎神父は、この言葉を「人は皆、火によって塩味(低みから発想する感性)を取り戻す」と訳しています。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではありませんが、低みから発想する感性、小さい子どもの感性、病気を患っていたりする時の感性、感覚などを、私たちはいつの間にか忘れてしまい、見失ってしまうことがあります。しかし、そんな私たちがお互いに平和をもたらし合う者となるためには、そのような感性、塩気を自分の内に取り戻しておく必要があります。そしてそれは時に自分の意にそぐわない、「火」によってなされるのでしょう。自ら好んで火の中に飛び込んでいく人はいませんが、しかし、否が応でも火の中に巻き込まれていくということが、誰にでもあるのではないかと思います。
 このお盆の時期にはご先祖様たちに思いを馳せることが多いかと思いますが、先に天に召された方々の人生もまた、必ずしも順風満帆なものではなかったでしょうし、今を生きている私たちもまた山あり谷あり、それぞれに火の中を歩む時もあるのではないかと思います。しかし、そのような折々に、私たちはそれぞれ、自分の内にも確かにある塩味、低みから発想していく感性に立ち返っていくことが出来るのではないでしょうか。
 神の国はどこから来るか。平和はどこから実現するか。それは低みの中、火の中におられる神様に従うこと、そこにおられる神様が共に働かれることによって、私たちはお互いに平和をもたらし合う者へと変えられ、用いられていくのだと思います。明日は8月15日、かつての大戦に日本が敗れた日です。戦争の愚かさと平和について思いを馳せる季節として、私たちは日々神様から与えられている命を大切にして、歩んでいきます。

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