お知らせ内容
9月18日 メッセージより
2022年9月18日 敬老の日礼拝メッセージ「愛(Ⅰ)は間に」より
岡嶋千宙伝道師
聖書 ルカによる福音書 17章20-21節
幼いころ、大人になるというのは、自分が思い描く夢や目標に向かって、自覚的に、前向きに、思い通りの歩みを進めることなのだと思っていました。今、自分がその大人になってみて思います。年を取るというのは、そんなに単純ではない、と。平坦ではなく、凸凹で、不確実。大人の階段を登るのは険しい。思い通りにいかないことの連続で、夢や目標を見失うこともある。前向きになれなくて、立ち止まってしまうこともある。楽しいこともあれば苦しいこともあって、喜びも悲しみもごっちゃごちゃ。一人の人生が不確実で波瀾に満ちたものだから、その一人が大勢集まった社会だって波瀾に満ちたもの。互いの思いを誤解して、意思疎通ができなくて、相手の存在を受け入れられなくて、仲が悪くなって、ケンカすることもあります。思い通りにはならない人生。不確実なことに満ちた世界。
今から約2000年以上前、わたしたちと同じように、この不確実な世界に生きた人イエスは、語りました。そんな世界のただ中に、神はいる。「あなたがたの」、したがってイエスの言葉を聴く側からしてみれば、「わたしたちの間に」、神はいるのだと。「間」、それは何より、人と人との間。全ての時代、全ての場所に生きる「わたし」が、「あなた」との間につむぐ関係のなかに、神がいる。人生経験の違い、環境の違い、文化・思想の違い、年齢の違い、様々な違いのある人々が交わるその間に神がいる。そしてもう一つ。もっと個人的に、一人の「わたし」の歩みのただ中に、神がいる。それぞれにとっての始めと終わりの間に、その歩みの一つ一つに、神がいる。
一人一人が、様々な道を、様々に苦悩しながら歩んできた人生。これから歩む人生。その歩みを共に分かち合う時と場としての教会。若い人も、年を重ねた人も。元気な人も、しんどい人も。それぞれが神と共に歩む日々。その日々を、苦しみも楽しみも、悲しみも喜びも、ひっくるめて、分かち合う。分かち合うのではなくても、そっとそれぞれの存在を感じることができる。そんな人と人との間に、築かれていく教会。今日も、わたしの間に、わたしたちの間に、神が、神の子であり、愛であるイエスが居続けています。その愛に感謝して、これからの日々を、わたしの日々を、わたしたちがともにある日々を、歩んで参りたいと願います。