お知らせ内容
4月26日 メッセージより
2020年4月26日メッセージ「この地上に生きるのだから」より
岡嶋千宙伝道師(向島伝道所)
聖書:ペトロの手紙Ⅰ 1章17-23節
イエスの復活によってもたらされたもの。その一つは「贖罪」です。罪のないイエスが、罪に満ちた私たちの代わりに死んでくれたことで、私たちの罪は赦され、喜びに満ちた新しい命が始められた。今回の聖書箇所に記されている「あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは……傷も染みもない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」という言葉は、このことを伝えてくれています。
ですが、それだけではありません。この手紙が宛てられた人の中には、「女性(妻)たち」が含まれています。彼女たちは手紙の筆者から「夫に従いなさい」と言われ、いわば「社会の中で出る杭にはなるな」との忠告を受けています。しかし、そんな女性たちの存在は、最も親しい者たちでさえも離反していく中でも、最後までイエスの生き様を見守り続けた別の女性たちを想起させます。イエスの死に際に立ち会った女性たちと、「ペトロの手紙」の中で忠告を受ける女性たちとの声とがつながりあい、2000年後に生きる私たちに、復活のもう一つの側面、イエスの「死に様」ではなく、「生き様」に焦点を与えた復活の意義を伝えてくれます。
復活を経たイエスは、「神の変わることのない生ける言葉」として、私たちを「新たに生まれ」させると言われます。この「変わることのない」姿とは、イエスの生前の姿です。弱き者、周縁に追いやられた者たちと出会い、共に生きる。多数の声にかき消され、響くことのない小さな声に耳を傾ける。死を迎えることが分かっていながらも、それでもなお、つながりの中に生き、一つ一つの命、一人ひとりの生に、真剣に向き合う。人々が孤立の中ではなく、つながりの中に生きることを求めたからこそ、神様はイエスの生き様を肯定し、死から復活させたのでした。
特定の場所に集い、つながることを控えざるを得ない今、それでも、イエスを中心にしたつながりはなくなりません。同じ時、同じ場所で寄り添えないことの痛みや苦しみを覚え、共に祈ることも、つながりの一つの形です。生身の身体を通して関わることができないからこそ、キリストの身体である教会としてのつながり、個々の痛みを、個々の弱さを感じ合い、分かち合うつながりが大切にされます。だから、恐れずに。一人ではありません。あなたの、私の、声は、今も響いています。その声が、この地上で、この時に、イエスと、私とあなたとをつなげ、私たち全てを生かす、命の鼓動となっているのですから。