お知らせ内容
11月27日 メッセージより
2022年11月27日 第1アドベント礼拝メッセージ「物に頼るでもなく、人に頼るでもなく」より
牛田匡牧師
聖書 ヤコブの手紙 5章1-11節
聖書に書かれている約2000年前の世界も、現代と同じように格差のひどい社会で、大商人や大地主たちが、たくさんの農民たちから土地、労働力と生産物を搾取していました。そのような状況下で、この手紙は富をむさぼった金持ちたちに、「世の終わりの日には、あなたたちは厳しく裁かれるだろう」と警告を発しています。さらに搾取され、虐げられている人たちに向けては「農夫が、収穫の時をじっくりと忍耐して待ち続けるように、主が再び来られる終わりの時まで忍耐しなさい」と語られています。しかし、ひたすら忍耐して努力をしても、必ずしも豊作になるとは限らないのが農業です。ここで言われている「忍耐しなさい」とは、「めげることなく、気を長く持って、心をぐらつかせない」ということです。
「主が来られる日」「再臨の日」と訳されている元々の言葉の意味は、もっと素朴に「そばにいる」です。自然災害や天変地異、戦争や混乱する社会情勢など、時に世の終わりを感じさせられる時代の中ですが、神様は「いつか来られる」のではなく、もう既に来られていて私たちのすぐ「そばにいる」というのです。生活が苦しくなればなるほど、私たちは目の前の問題の即時解決を望みます。もちろん私たちには食べ物も着る物も休む場所も不可欠ですから、それらは必要ですが、それだけで私たちの命、霊が満たされるわけでもありません。私たちが満たされた命を生きるためには、物に頼るのでもなく、人に頼るのでもなく、自分自身が神様から目的を与えられ生かされている命であることに気づくこと、今もすぐそばにおられて、絶えず支えてくださっている神様がいるということに信頼することなのではないでしょうか。
神様はいつの日か、雲に乗ってやって来られる方ではなく、2000年前のクリスマスに最も弱い存在として、人間の赤ちゃんとなって家畜小屋の飼い葉桶の中という社会の片隅で世に来られました。それは2000年を経た今でも、神様はこの社会の最も暗くされた片隅に働かれるということ、神様は私たち一人一人の人間の手を通して働かれるということを示しています。命の神は、イエス・キリストとしてもう既に来られ、十字架の死から引き起こされて、今もすべての人と共におられます。だからこそ、私たちは困難があっても、諦めたり、投げ出したりせずに、めげずに立ち続けていくことが出来るのだと思います。そのような神様と共にあって、私たちは今日もここから歩み出していきます。