お知らせ内容
5月3日 メッセージより
2020年5月3日(日)久宝教会 復活節第4主日礼拝
メッセージ「大切にしたいけれど」より
牛田 匡 牧師
聖書 ヨハネによる福音書 21章15-19節
今回は復活されたイエス様がペトロに「あなたは私を愛しているか」と3回尋ね、ペトロが答えるという話です。日本語では全て「愛しているか」「愛しています」と訳されていますが、元のギリシャ語では、イエス様は「アガペーしているか」と問いかけ、ペトロは「はい、フィリアしています」と答えています。現代の日本語でも「愛する」や「大好き」「好き」という言葉は、あまり区別なく使われていますが、当時のギリシャ語でも「アガペー」と「フィリア」は区別なく使われていたようです。しかし、イエス様の始めの2回は「アガペーしているか」なのに、3回目はペトロと同じ「フィリアしているか」に変わっています。これは「アガペー」と「フィリア」のどちらが内容的により優れているかということではなく、一貫して「フィリアしています」としか答えられないペトロに対して、イエス様が「そうかい、あなたはフィリアしているんだね」と譲歩して、そのままのペトロを認め、受け入れてくれたように、読めるのではないかと思います。
イエス様がペトロに対して、同じ質問を3回繰り返されている背景には、「イエス様のためなら命をも惜しみません」と言っていたのに、実際にイエス様が逮捕され「あなたもあいつの仲間じゃないか」と言われると「あんな人は知らない」とイエス様のことを3回否定してしまったというペトロの過去がありました。イエス様を大切にしたいと思いながらも、大切にできないペトロに、自ら歩み寄り「アガペーでなくても、フィリアでもいい。あなたのそのままで私について来なさい」とイエス様は告げられました。神様は、私たちにできないことは求められません。隣人を大切にしたいと思いながらも、身近にいる家族ですらも大切できないことのある私たちです。そんな弱さや限界を抱えた私たちに対して、イエス様は「私に従いなさい」と言われます。「大切にしたいけれど、大切にできない」と嘆くのではなく、「大切にしたい」という思いが与えられているという所から、歩みを起こして行ければと思います。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の下、格差と分断が拡大していますが、その中でも様々な形でつながり合い、支え合っている人々の働きがあります。それら一つ一つの働きの中に、神様は共におられます。それらの働きを覚え、他者に対する想像力をもって、イエス様の後に従う道へと、私たちは今日も導かれて行きます。