お知らせ内容
1月8日 メッセージより
2023年1月8日 メッセージ「ただちにエジプトへ」より
水谷憲牧師
聖書 マタイによる福音書 2章13-15節
神の独り子であるイエスの誕生は、私たちから見れば世界の救い主にしてはあまりに質素で寂しいものだったが、幼子を訪問した羊飼いたちや東方の占星術の学者たちに代表されるような、底辺を這いずり回りながら懸命に生きている者たちや、いわれのない侮辱に耐えながら生きている者たちにとっては、「神はあなた方と共にいつもある」という明確な喜ばしいメッセージであったに違いない。彼らの訪問は、どんな権力者や金持ちの訪問にもまさる、心温かいものだったであろう。
しかし、世界は救い主イエスをめぐって動き始めていた。マリアとイエスと共に眠るヨセフの枕元に、再び天使が立って言う。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(13)。ヨセフはその言葉にはっとして目覚めると、マリアを起こしてイエスを抱き上げ、夜のうちにベツレヘムを脱出する。その後、ヘロデ大王がベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を皆殺しにするという恐るべき出来事が起こったのだった。
私たちはこのヨセフのように対応できるだろうか。命の差し迫った危機こそなくとも、魂を滅ぼそうとする様々な誘惑や試練は私たちの周りに満ちている。私たちはその魂の危機を告げ知らせる御告げを敏感に察知する耳を持てているか。私たちを滅ぼそうとするヘロデは政治的な権力者の姿をしているとは限らない。現代のヘロデは、私たちのあらゆる誘惑や災いの形をとって私たちの魂に手を伸ばそうとしている。その時私たちは、ヨセフのように飛び起きて夜のうちにエジプトへ逃げなければいけない。
では、私たちにとってのエジプトとはどこか。それはやはり教会なのではないか。自分にとっての逃れの地、エジプトは教会であった、教会に逃れることで癒され、慰められ、励まされ、力を与えられて魂の危機を救われたという方も実際にたくさんおられよう。そして同様に教会は、私たちだけのものでなく、少しでも多くのこの世の人々の魂が滅ぼされないためのエジプトでもあらねばならない。私たちは、私たちの愛すべき隣人の魂が危機に面しているとき、「すぐにエジプトへ逃げなさい」「すぐに教会へ行きなさい」と天使の代わりに告げることができる者となりたいと願う。そのためにまず、謙虚に聖書の御言葉に耳を傾け、キリストの宣べ伝えられた福音、またそこに流れている神様からのメッセージを改めて学んでゆくことから、この新しい年、心新たにはじめよう。