お知らせ内容
3月26日 メッセージより
2023/03/31(金)
2023年3月26日メッセージ「120万円の命」より
水谷憲牧師
聖書 マタイによる福音書 26章14-16節
キリストの最後の1週間の4日目、水曜日。キリストはエルサレムへは行かずに、近くのベタニアという村で一日を過ごされたことになっている。この日のイエスにまつわる記事は、いわゆる「ナルドの香油」の記事のみ。死の運命が近づいているイエスにとり、この日は本当に心休まる日となったことだろう。しかし一方では、イエスを付け狙う動きが具体的に始まった日でもあった。その陰謀は、もとよりイエスを邪魔に思っていたユダヤ教の指導者たちによって企てられていたが、その陰謀に自ら加担しそれを加速させたのが、イエスの12人弟子の一人、イスカリオテのユダであった。ヨハネ福音書においては、ユダにサタンが入ったと書かれている。悪魔は聖徒だろうと一般人であろうとかまわず、私たちをその支配下に置くべく、いつも隙をうかがっている。私たちが一生懸命信仰を守っていようが、四六時中キリストのことを考えて祈っていようが、罪は私たちの気付かないうちに入り込むのだ。気をつけよう。
キリストを裏切ったという点では、ペトロをはじめとする他の弟子たちも同罪だが、ユダがキリストを金で売り渡したことは事実。その対価は銀貨30枚だった。これはシェケル銀貨と考えられており、1シェケルは4デナリオンに当たるという。30シェケルなら120デナリオン。1デナリオンは一日の賃金に相当する額であったという。1日の賃金を分かりやすく1万円とすると、銀貨30枚は120万円。ユダはたったそれだけの金のためにキリストを裏切ってしまったのだ。もちろんユダも、単に金が欲しくてキリストを売ったのではなかっただろう。ユダなりの理想のキリスト像があって、その理想像と乖離しているキリストにはっぱをかけたかったのかもしれない。少し追い込まれればメシアも本気を出すかもしれない、などと考えていたのかもしれない。しかしそんな彼には、きっとキリストの本当の姿が見えていなかったのだ。目に見えるものばかりでなく、目に見えないものにこそ目を向けたい。
私たちが犯してしまいがちな多くの罪、あるいは愛も、それ自体は目には見えないので軽く考えてしまいがちだが、お金や表面的なふるまいなどでどうこうできるようなものではない、本当に重くて大きなものなのだということを感じていける感性を磨きつつ、残り少ないレントの期間を歩んでゆきたい。