お知らせ内容
5月7日 メッセージより
2023年5月7日 メッセージ「あなたが選んだのではなく、あなたは選ばれた」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 15章 12-17節
イエス様は十字架への道を歩み出す前に、弟子たちに「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われました。数ある律法の要点は「神を愛し、隣人を愛す」の2つ(マタイ22:34-40)だと理解されていましたが、ここでは後半の隣人と「互いに愛し合いなさい」のみとなっています。古くから、目に見えない「神を愛する」とは、神から与えられた律法を守ることだと伝えられて来ていましたが、時代を経るにつれて神殿祭儀も形骸化し、時の権力と結びついて来る中で、そこに関わることが出来ない罪人と見なされた人たちも大勢いました。そのような中でイエス様は律法を守ることすら出来ない状態に置かれ、差別され抑圧されている人たちにこそ、神からの恵みがあり救いがあると、その言葉と行動を通して伝えられました。この言わば「救いのディスカウント(値引き)」によって、罪人として絶望の中に追いやられていた多くの人々が、光を見出し、新しく生きる力を得て、仲間たちと共に活き活きと立ち上がっていきました。
神を大切にする人は、人を大切にしないはずがありません。ですから「神を愛する」ことは「人を愛する」ことに含まれるのです(Ⅰヨハネ4:20-21)。そしてそれは、言い換えれば「私たちは隣にいる人たちとの関わり合いを通して、目には見えない命の神の姿、働きを知ることができる」ということでもあります。イエス様がその身をもって伝えた福音は、誰もが実行可能なものでした。またそれは自分で選んだのではなく、神様の側から一方的に選ばれて、与えられるものでもありました。もしも自分の力と判断で福音を選んだのであれば、福音は一部の人たちだけのものになってしまいますし、自分を誇ってしまいそうです。しかし、イエス様の福音は違いました。誰も神様から選ばれたと言って、驕り高ぶることがないように、隣人たちと互いに大切にし合いなさい。自分の持っている、自分に与えられている時間と心を使って、互いに大切にし合う。あなたにはそれが出来るのだから……。イエス様は、そのように私たちに語りかけられているように思います。
「自己責任」という言葉は、人と人とのつながりを断ち切り、人を孤独と絶望に追いやる暴力です。今を生かされている私たちは、自分の力で生きているのではありません。自分の力で選んだのではなく、命の神から選ばれ、指名され、今この時を生かされています。隣人たちと互いに大切にし合って、共に生きる。そのような小さな関係性の輪が、私たちの身近から平和を造り出し、今、ここから神の国を創り出していきます。