お知らせ内容
5月28日 ペンテコステ礼拝メッセージより
2023年5月28日 ペンテコステ礼拝メッセージ「ビューン ピトッ ワイワイ ザワザワ」より
岡嶋千宙伝道師
聖書 使徒言行録 2章 1-13節
本日の御言葉には「言葉」という訳語が4回出てくる。このうち、4節と11節のそれは、単に言葉というだけではなく、その背後にある、たとえば人々の生活や習慣、あるいは個々人の感情や性格、思いなどをも表しうるもので、3節の「舌」も同じ単語の訳語。この「言葉」の意味、それと、イエスの死後50日にわたって彼の弟子や家族、イエスに従った女性たちの置かれた状況を踏まえると、「炎のような舌」が降り注ぎ、彼女たちが「他国の言葉」で話し出した、というのは、そこに集っていた一人ひとりの思いが乗せられた言葉が、他の誰にも遮られることなく紡ぎ出されていた、と言うことなのではないだろうか。
復活のイエスに出会って、イエスに触れ、イエスと語りあっていた彼女たちは、生前のイエスとの日々を思い起こしながら、彼と共に歩んだ経験を語り始め、気づくようになる。イエスの歩みとは、他者と共にある歩みだった。同じような背景を持つ者だけではなく、自分とは異なる人たちにも出会い、その人たちの声、言葉に耳を傾け、丁寧に聴いていた。その気づきを経て、彼女たちは、自分たちもイエスと同じように、一人ひとりの思いを聴きあうようになる。どんな内容であっても、どんな語り方であっても、途中で遮ることなく、判断を挟むのでもなく、それぞれの語りが紡がれるままにする。苦しみ、不安、痛み、悲しみ、あるいは喜び、さらには、弱さすらも乗せられた言葉を響かせる。共感できることもあれば、できないこと、理解できないこともあった。それでも、違いを理由に否定するのではなく、語りを妨げるのではなく、誰もが言葉を紡ぐことのできる状況を作り出していった。その姿を目撃し、彼女たちの語りを聴いたエルサレムの人々が、まるで「自分たちの言葉」で神の業が語られているかのようだ、との感想を抱いたのは、彼女たちの語りの中に、偽りのない正直な思いが込められていたからだろう。
ペンテコステの主日。今一度、聖霊の導きを求めたい。イエスを信じる者として、自分の、他者の、そして神の思いに、心を向けられるように。たとえ自分とは異なっていても、隣人の思いが乗せられた言葉と声に耳を傾けることができるように。異なりを持つ人たちと、そばにいあって、寄り添って、共に生きる喜びを感じることができるように。