お知らせ内容
6月4日 メッセージより
2023年6月4日 礼拝メッセージ「誰と出会うか」より
牛田匡牧師
聖書 使徒言行録 2章 22-36節
今回のお話は、聖霊が弟子たちに降った「ペンテコステ(聖霊降臨)」の話の続きです。弟子たちは、当初「お前たちも、あの十字架で処刑された犯罪者、ナザレのイエスの仲間だろう」と言って、町の人々から差別されたり、イジメられたりしないかと怯えて、隠れるように過ごしていた所から、聖霊によって力付けられたことで、一転して自分から外の人たちに向かって語りかけ始めました。ペトロは「あの十字架で処刑されたナザレのイエスこそ、救い主、キリストである」(36)と宣言しましたが、これらの一連の言葉は、道行く人々に語りかけつつ、同時に彼自身に対して語った言葉としても読めるかと思います。彼は「あなたがたが十字架につけたあのイエス」と言いながら、自分自身のことも振り返ったに違いありません。なぜなら彼はイエス様が反対者たちに捕まえられる前に、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:35)と言いつつも、実際には自分が問い詰められ、身の危険を感じると、呪いの言葉さえ口にしながら「そんな人は知らない」と3度もイエス様のことを知らないと言ったからです。また、イエス様が十字架に架けられた時には、逃げ出していました。ですからペトロ自身も「私もイエス様を十字架につけた一人」だったのでしょう。
けれども神はそんなイエス様を死から引き起こし、復活させられました。イエス様は殺され、死んで、いなくなってしまったのではない。今も確かに生きておられて、私と共にいてくださっている。ペトロはそう確信していたからこそ、力強く語ることが出来ました。イエス様と出会った事で、ペトロは漁師を辞めて、イエス様に従いました。あの時、あの場所で、もしもイエス様と出会っていなかったらどうだったでしょう。ペトロや他の弟子たちだけに限らず、私たち一人一人がそうです。うまくいったことだけではなく、うまくいかなかったことや、困難も失敗も含めて、様々な出会いがあってこそ今があります。またこれからの新しい出会いを通して、これまでの思い出したくないような過去の出来事とも、新しく出会っていくこともきっとあるのだろうと思います。「誰と出会うか」。様々な出会いによって、私たちは生かされ、導かれ、そして磨かれていきます。まだ私たちの出会っていない方々が大勢おられます。今も生きておられる復活のイエス様は、今どこにおられ、誰と共におられるのか。これからの日々も、多くの出会いに恵まれて行きたいと願います。