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6月25日 メッセージより

2023/06/29(木)

2023年6月25日 メッセージ「彼女の涙」より

岡嶋千宙伝道師

聖書 創世記 21章 1421

 家を追い出され、行く宛もなく荒れ野をさまよい、食料も水も尽きて、ただ死を待つしかなかったハガルとイシュマエル。瀕死の状態にあった二人のもとに天からの神の使いが現れ、二人を救う。一見すると、ハッピーエンドで終わる後味の良い物語。でも、つまずいてしまう。この場面で泣き声をあげ、涙を流していたのは母親のハガルのはず(16節)。なのに、二人が救われたのは、神が「子どもの泣き声」(17節)を聞いたからであるという。しかも、救い出された二人に与えられる神の祝福は「彼を大いなる国民とする」であり、そのために神は「子どもと共におられ」る。ハガルの涙、泣き声、存在が、イシュマエルのものに置き換えられている。まるで、ハガルは、イシュマエルの母という、その役割においてのみ登場することが許されているかのような。異国エジプトからアブラハム一家のもとに連れて来られた奴隷だから。女性だから。その胎から生まれた子どもは、アブラハム一家にとっての正統な跡取りではないから。部外者、よそ者。だから、その声を、涙を、存在を、無視する。それで良いのだろうか。残念ながら、創世記にも、旧約の他の書物にも、ハガルが再び登場することはなく、ゆえに、その存在が、アブラハムとの間に子どもを産んだ母ということ以上に、回復されることもない。

 ハガル自身ではないけれど、彼女と同じような境遇にある女性たち、社会において、存在すら忘れられていた女性たちに目を向け、その声を聴き、思いに身を寄せ、涙を掬いとった人がいた。新約に証しされるイエス。一人の名もなき女性、ハガルのように、救い主に通じる家系の人物と関わりがあるわけではないその女性の行いを、イエスは否定しなかった。周囲の人たちがこぞって非難するなかで、ただ一人、イエスだけが、彼女の心と行動を受け止め、彼女の存在を大切にした。名前も知られない彼女のことを、「決して忘れない、決して忘れられることはない」、とイエスは語った(マタイ26:6-13; マルコ14:3-9)。

 イエスの姿に倣い、わたしたちもまた、覚え続けていく必要がある。一人一人の涙。声。思い。存在。無きものにしない。この時この場で目にすること、耳にすること、触れること、感じること。その背後にある一つ一つの心の動き、痛みや悲しみ、苦しみ、あるいは喜び。忘れられそうになっている一人ひとりの存在に目を向けていく。今日、今、この場所から。

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