お知らせ内容
8月6日 平和聖日礼拝メッセージより
2023年8月6日 久宝教会 平和聖日礼拝メッセージ「必要なことは一つだけ」より
牛田匡牧師
聖書 ルカによる福音書 10章 38-42節
今回のお話は、マルタとマリアという姉妹のお話です。二人は旅の途中に立ち寄られたイエス様を歓迎し、マルタはイエス様をもてなすために忙しくしていた一方、妹のマリアはイエス様の足元に座って、そのお話に耳を傾けていました。妹がちっとも手伝ってくれないことに業を煮やして、イエス様に対して「手伝ってくれるようにおっしゃってください」と言ってしまったマルタに対して、イエス様は「あなたは色々なことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。この言葉は、何を意味しているのでしょうか。お客様をもてなすのに、食事を用意したりするのも大切な必要なことす。ですから、この言葉は「必要なことは一つだけ」と訳すよりも、むしろ「必要なことは人それぞれ」と訳す方が分かりやすく、ふさわしいように思います。「マリアは自分にとって良い方を選んだ。だから、それを取り上げてはならない」。マリアにはマリアの必要があり、マルタにはマルタの必要があったというわけです。
では「必要なことは人それぞれ」と言った時、戦争の問題はどうなるのでしょうか。双方に理由があり、必要があるという限り、戦争は無くならないのではないか。しかし、生まれながらの犯罪者がいないように、戦争や犯罪など、あらゆる反社会的行為の源泉は、乳幼児期からの被虐待・暴力の経験だと言われています。それぞれの人が安心して満たされていたら、他者を攻撃する必要がないということです。神様がそれぞれに「良いもの」として創られた全ての命が、それぞれに満ち足りて輝いて生きることが出来るようになることを、神様は喜ばれ、望まれています。その意味で、私たちが目指すべきことは、他人の必要を抑制したり、取り上げたりしなくても済むように、「それぞれの人が、それぞれの必要を満たされる」こと、それこそが「必要なただ一つのこと」とも言えるかもしれません。暴力に満ち、虐待と暴力の連鎖の上に続けられている人類の歴史の中で、聖書も権力によって暴力のために乱用されて来た歴史がありますが、それでもなお、その中にはその暴力の連鎖に抵抗したイエス様たちの姿が記されています。それらの言葉と振る舞いに促され、私たちは今日もここから新しく平和を造る歩みへと導かれて行きます。