お知らせ内容
8月20日メッセージより
2023年8月20日 メッセージ「命よりも大切なもの」より
牛田匡牧師
聖書 ルカによる福音書 13章 10-17節
今回のお話は、イエス様がある安息日に会堂でお話をされていると、そこに18年間も腰が曲がったままの女性がいたので、イエス様がその女性に両手を置いたら、その体はまっすぐになったというお話です。このお話には続きがあり、そこにいた会堂長が、「安息日に治療をするのはよくない。働くべき日は6日間あるではないか」と憤慨したというのです。そもそも「安息日」とは、奴隷や家畜たちを休みなく働かせ過ぎることがないように、一週間に一日は休息を与えなさいという管理者に対する命令でした。それが時代を経るにつれて意味合いが逆転してしまい、その掟を守れていない人を、差別し排除するように用いられるようになってしまっていたのです。イエス様はその掟の心(目的)は何か、ということに改めて目を向けるようにと訴えられたわけでした。
このお話の中で、イエス様によって目を開かれたのは、この会堂長たちだけではなく、この女性自身もまた束縛から解放され、目を開かれたのではないかと思います。この女性が取りつかれていた霊とは「弱さの霊」でした。この女性は「弱さの霊に取りつかれ、自分の身体を折り曲げずにはいられないほど、小さくされていた」のです。18年間もの間、ずっと小さく縮こまされ身体を伸ばせずにいたこの女性もまた、周囲からの差別や偏見の下、自分自身のことを弱い者、力のない存在として、諦め、見下し、霊に取りつかれたままになっていました。そのような彼女にイエス様は「さぁ、あなたの弱さから解放されなさい」(12)と両手を置いて呼びかけられました。それは「あなたはその弱さから解放されることが出来る、身体を伸ばして立ち上がることが出来るはずだから、私と一緒にやってみましょう」という呼びかけの言葉だったのだろうと思います。
律法を守るという正しいことをしているつもりが、いつの間にか本来の目的を忘れ、他人を裁き、差別し、また自分自身を弱く小さくしてしまったりすることがある。それは2000年前のイエス様の時代だけに限らず、現代においても同じです。「命よりも大切なものがある」「真実を告げる」と言っている教会も間違うことがあります。宗教家、教師と呼ばれる人も、他人を差別し、抑圧する者になってしまうこともあります。また自分自身でさえ、自分のことを弱く小さくしてしまうこともあります。ですが、すべての命が解放されて、まっすぐに身体を伸ばして生きること。そのことこそが神様の御心です。「本当に大切なものとは何か」「命よりも大切なものはあるのか」。私たちはそれぞれに、これからも、この問に応答しながら、歩みを続けて参ります。