お知らせ内容
9月24日 メッセージより
2023年9月24日 メッセージ「友だちをつくる」より
牛田匡牧師
聖書 ルカによる福音書 16章 1-13節
「不正な管理人のたとえ」と呼ばれているこのお話を読む時、私たちは本当の「不正」とは一体何か、ということを改めて考える必要があります。大多数の人々が貧しい農民や漁民であった当時、ごく一部の大金持ちの「主人」がそれらの人々を支配し、その両者の間には主人から現場の監督や管理を任された「管理人」たちがいました。いわゆる中間管理職であった彼らは、上からは圧力を受け、下からは憎まれるというしんどい状況に置かれていたわけです。そのような中でこの管理人は普段から、搾取され貧しくされていた小作人たちに、主人の金を無断でばら撒いていたようです。それが「不正を働いている」として告げ口されました。ですが、考えてみれば、膨大な富、それ自体が多くの人々を搾取すること無しには存在し得ない不正にまみれたものです。むしろ、彼がしたことは弱く小さくされている人たちを助ける正しいことなのではないでしょうか。
管理人自身もその役職を解かれ、放り出されたら一人では生きていくことの出来ない弱くされた存在でした。その時に、主人の側か、小作人たちの側か、どちらに目を向け、どちらの友になろうとしたか。そこにこそ彼の賢さ、見極める感性があったのではないかと思います。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がありますが、金も権力も地位も失った時に、それらに関係なく「ただの友だち」として、関わり続け、支えて助けてくれる存在を、私たちはどれだけ持っているでしょうか。持っている人は持っているものを失うまいと、ますます握りしめて、周りに心と目が向かない傾向がありますが、持っていない人はむしろ自由な感性で、周りの持っていない人に対して、友だちとしての軽やかな心遣いができているような気もしています。「友だちをつくる」。共に生きる仲間、支え助けてくれる仲間と出会うこと。富やお金はそれ自体に価値があるわけではなく、友だちをつくるための道具に過ぎません。またお金に限らず、今自分が持っている能力も立場も、全ては神様からの預かり物です。それらを誰のため、何のために用いて役立てていくか。友だちを作るため、またその友のために用いて行けるか。私たちは、自分自身のことだけではなく、自分の隣りや周りにいる方々と共に歩むように、今週も導かれて行きます。