お知らせ内容
6月7日 メッセージより
2020年6月7日(日)三位一体主日礼拝メッセージ「その道をあなた方は知っている」より
牛田 匡 牧師
聖書 ヨハネによる福音書 14章1-14節
今回の聖書の箇所は最後の晩餐の席で、イエス様が弟子たちに話された話です。イエス様は自分が「もうすぐいなくなる」ということを弟子たちに示唆しながら、「神様のもとに、あなたがたの居場所がある。だから安心していなさい」と言われました。思い返してみると、イエス様も弟子たちも皆、生まれも育ちも貧しく賤しく、差別されていて、どこにも自分が居てよい「居場所」がなく、周囲から罪人と見なされていた人たちでした。その人たちに「私たちも皆、神様から大切にされている存在だ」と伝え、「居場所があるんだ」と伝えたのが、イエス様でした。そのイエス様が、もうすぐどこかへ行ってしまう。しかも、「自分でついて来なさい。その道はもう知っているから」と言われても、弟子たちにしてみると、急に不安になったことでしょう。
イエス様は「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。「道(みち/どう)」という言葉には、「生き方」や「あり方」という意味がありますが、ここで言われている「道」とは、まさにイエス様がその身をもって示された生き方、あり方のことです。ですから、ここでイエス様が言われているのは、「私があなたがたと共に歩んで来たように、あなたがたはこれからも歩んで行きなさい」ということでした。そして、これまでに触れて来たイエス様の生き様、言葉と振る舞いこそが、目に見えない父なる神の姿に他ならないのだとも言われました。
キリスト教の神は「父と子と聖霊」の三位一体と言われますが、その表現には古代世界の男性中心主義が含まれていますので、現代ではジェンダーに配慮して、例えば「見えない神、見える神、感じる神」や「創造する方、愛する方、守る方」などと表現する取り組みも始められています。これらは言い換えるならば、「目には見えなくても、神様はいつも共におられる」ということの表現であり、私たちはそのような神の姿、あり方を、聖書に記されているイエス・キリストの歩み、言葉と振る舞いを通して、知ることが出来ます。
「その道をあなた方は知っている」……。私たちが歩むべき道は、イエス・キリストが歩まれた道、その身をもって示された生き方です。燃え盛る火によって、メッキが剥がされると、中身は情けない私たちですが、そんな私たちを呼び出され、集められたのは神様です。いつも共にいて下さっている神様によって、私たちは今日もここからその後に従うようにと押し出されて行きます。