お知らせ内容
12月17日 第3アドヴェント礼拝メッセージより
2023年12月17日 第3アドヴェント礼拝メッセージ「御子の生まれるところ」より
牛田匡牧師
聖書 マラキ書 3章 19-24節
クリスマスが近づいて来ましたが、ウクライナでも、パレスチナでも一向に争いが止まず、戦争が続けられています。この同じ地球の中でクリスマスを待ち望み、期待に心躍らせている豊かな人たちがいる一方で、今日の命をつなぐ食べ物にも、横たわる場所にも事欠く人たちがいます。大切な仲間や家族を失い、生きる希望を見出せなくなっている人たちもいます。今、絶望の中にいる人たちにとっては、一刻も早く「裁きが来てほしい、救いが来てほしい」という願いが切実なものでしょう。しかし、聖書が繰り返し述べているのは、「いつか来る神、やがて来る神」と「もう既に来ている神、いつも共にいる神」は同じだということです。
深い悲しみや絶望のただ中にある時、共にいてくれて、働きかけてくれるという神の存在など、全く感じらないという時も、確かにあるでしょう。全く神の存在を感じられず、神から見放され、見捨てられたように感じてしまう時もある。その一方で、深い暗闇の中にあっても、小さな光が灯されたと感じて、神様が隣にいてくれると感じることが出来る時もあるのではないかと思います。そのどちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとか、信仰が薄いとか篤いとか、そのようなことは誰も決して言うことは出来ません。同じ一人の人であっても、時と場合によってその気持ちは大きく揺れ動くのは当たり前のことです。
クリスマスに目に見えない神が、目に見える形として、肉体を持った人間として生まれて来たということ。そして「私に従いなさい」と言われたこと。それは、私たちもまたイエス様の言葉と振る舞いに従って歩むように招かれているということであり、また私たちの手を通して、この世界に神様の働きが表されて行くということなのではないかと思います。御子の生まれる所、それは2000年前のパレスチナであるだけではなく、現代の紛争地域、破壊と飢餓と貧困にあえぐ地域でもあり、また「今ここ」でもあります。「インマヌエル(私たちと共におられる神)」とも呼ばれるイエス様(マタイ1:23)が、今も確かに共にいてくださるということに信頼して、今ここから私たちに出来ることを、誠実に努めて行きたいと願います。この世界を癒やす義の太陽の熱、お日様のぬくもりを隣の人と一緒に分かち合っていく歩みへと、私たちは今日もここから導かれていきます。