お知らせ内容
1月7日 新年礼拝メッセージより
2024年1月7日 新年礼拝メッセージ「私の神様」より
水谷憲牧師
聖書 ヨハネによる福音書 1章 29-34節
西方教会におけるクリスマス最終日である1月6日、キリスト教の暦は「公現日(キリストがこの世に公に現れた日)」とされている。それは単にキリストがこの世に生まれたというだけではなく、「全世界にキリストの輝きが及ぶようになった日」ということ。ある時、洗礼者ヨハネは、近づいてくるイエス・キリストを指して言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」「私はこの方を知らなかった」。洗礼者ヨハネはイエスの親戚なのに、それを知らないとはどういうことか。この「知る」とは「頭で理解」ではなく「体全体で、人格的・体験的に」知る、という意味で使われている。つまり、ヨハネはそれまでナザレのイエスのことを、単なる自分の親戚として知ってはいたが、彼が自分にとってどんな存在かということまでは知らなかった。しかし今や彼は、イエスの上に霊が鳩のように降るのを見たことによって、彼が啓示によって告げられた神の小羊、聖霊によって洗礼を授ける人であることの確信に至ったのだ。「私はこの方を知らなかった。しかし~」と2度も繰り返されているこの言葉は、今までは知らなかったけれども、でも今は知っている、というヨハネの喜びの叫びのようだ。
私たちはこのヨハネのように、万感の思いでイエスのことを「この方こそ神の小羊・私のための救い主」と告白できるのか。聖書を読んだ知識としてではなく、本当にイエスが自分にとっての救い主であるという確信を、実感として持てているのか。もしかしたら、私も含め本当には持てていないのかも知れない。しかし、シモン・ペトロであってもそんな確信は実は持てていなかったし、イエスをそれでもキリストと信じたい、という思いさえあるならば、私たちにその確信はいつかきっと与えられるだろう。
たゆまず祈り、聖書とそこに伝えられるキリストの姿に学び、それに倣ってたくさんの隣人に愛を持って仕えていこう。その歩みの中でいつか必ず、私たちにもキリストを「この人こそ私のための救い主、私の神様だ」と確信を持って告白できる時が与えられることを信じつつ、新しい年を歩んでいきたい。新年早々起こった様々な出来事や、今でも世界中で続く紛争のことなどを思うと、私たちは「あけましておめでとうございます」とはなかなか軽々しく言えない。けれどもどうか、私たちにとって新しいこの年が、神様の守りと導きの中でよいものとなりますように。