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1月21日 メッセージより

2024/01/26(金)

2024年1月21日 メッセージ「水がめに水をなみなみと」より

水谷憲牧師

聖書  ヨハネによる福音書 2章 1-11節

 ガリラヤのナザレから北に約20キロほど離れたカナという地で、婚礼が行われていた。聖書は、イエスがその婚宴の裏で、水がめの水をぶどう酒に変える奇跡の話を伝えている。婚礼という祝いの席で、ぶどう酒が足りなくなってしまった。母マリアがイエスに「もうぶどう酒がありません」と相談したところ、イエスは「女よ、私とどんなかかわりがあるのです」。私はこの冷たく聞こえる言葉に、逆にイエスの人間臭さを感じる。今日の婚礼に集まった人々は、イエスの言葉を求めて集まったわけではなかったために、奇跡の安売りをすることにイエスが嫌悪感を抱いたのではなかったか。「私は飲み物を出すために父なる神から遣わされたのではない。私の時はまだ来ていない!」私にはイエスのこのような一本気な気持ちこそが、この活動初期のイエスの、キリストとして世に迎合してはいけないと自分自身にプレッシャーをかけてしまう人間臭さであり、未熟さでもあったように思える。めっちゃ肩に力が入っている。

 しかし、イエスはそのすぐ後に、水がめの水をすべてぶどう酒にかえてしまう。750mlのワインボトルだと800本分。さっき「私とどんなかかわりがあるのです」とか言っていたのに。イエスは、ぶどう酒など私には関係ないと冷たいことを言ってしまったものの、この婚礼に集った人々の様子や、裏で走り回っている人々の様子を見ているうちに、考えを改めさせられたのかも知れない。自分がこれから伝えていこうとする福音とは、様々な人々とあらゆることを分かち合っていく中で、初めて伝わっていくものなのではないのかと。

 イエスは召し使いたちに「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言った。イエスはこのカナの婚礼にて「喜ぶ人とともに喜ぶ」という福音を、身をもって、しるしをもって初めて証した。きっとイエス自身も、自らの福音ののべ伝え方について、新たに学ばされた出来事だったのではないか。そして、口だけでなく身をもって福音を証するイエスだからこそ、多くの弟子たちが彼を信じ、彼に従っていったのだろう。「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた」とはまさにこのこと。私たちも、喜ぶ人とともに喜ぶキリストに倣って、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と呼びかける人、それに応えて水がめに水をなみなみと注ぐ人となりたい。

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