お知らせ内容
2月18日 メッセージより
2024年2月18日 メッセージ「人はパンのみにて生くるにあらず」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 4章 1-11節
イエス様は宣教活動を始められる前に、荒れ野で悪魔から試みを受けられました。断食によって空腹を覚えられているイエス様に、「試みる者」が近づいてきて「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と言いました。それに対するイエス様の答えは「人はパンだけで生きる者ではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」でした。この言葉は「申命記」8章3節の引用ですが、その前後には古代イスラエルの民が、エジプトを脱出した後の40年間の荒れ野の旅において、必要な物が必要な時に必要なだけ備えられたことを思い出しなさい、ということが記されています。言い換えるならば「人は神から与えられる全ての出来事によって生かされている」と理解することができます。また私たちの現実社会では、目に見えるパンに代表される、モノや金が人を支配するために用いられていますが、神の恵みによって生かされていることを忘れて、モノや金によって人が人を支配することを許してはならない。また石をパンに換えるような奇跡で人をたぶらかすことはしない、ということも示されているのだと思います。
この地上では目に見える形として、パンにばかり目が行ってしまいがちですが、本当に大切なものはパンだけではありません。目に見えるモノばかりに目を注いでいる限り、そこには本当の命の神の働きは見出せないのではないでしょうか。私たち自身が時として、悪魔によって試みられ、そしてまた悪魔のように自分や他人を分断し、裁いてしまうことがあるのではないでしょうか。命の神の働きは、どこに働いておられるか。イエス様は今、どこにおられるか。そのことを問うことが求められているように思います。「人はパンのみにて生くるにあらず」。神から出る全てのもの、全ての恵み、全ての業の中に生かされている……。能登半島地震の被災地には、全国各地から多くの方々が、支援に現地入りされているようです。そのような支援者の方々の働きもまた「神の言葉(働き)」の一つです。その一方で財源も建築資材も、作業に携わる人手も不足しているにもかかわらず、大阪万博を強硬開催しようとしている人たちもいます。私たちは何によって生かされているか。何が最も大切なことか。そのことを心に留めながら、私たちは今日もここから歩み出して参ります。