お知らせ内容
2月25日 メッセージより
2024年2月25日メッセージ「ひっくり返せ!」より
水谷憲牧師
聖書 マルコによる福音書 11章 15-19節
イエスがエルサレム神殿の境内に入ると、そこには過越の祭を祝う大勢の巡礼者。献げ物の羊や鳩を売る店や両替商の店も出ていた。神殿での献げ物を販売する業者や両替商の存在は、遠くから旅をしてやってくる巡礼者にとっては、大変便利な存在だったろう。しかしエルサレム神殿は、これらの業者から場所代を徴収し、業者たちもそれを踏まえた上での価格設定をして儲けていた。
ある資料によると、両替の手数料は十分の一、鳩の値段は神殿の外の15倍であったという。そもそも鳩は、貧しい人々のために律法で特別に定められた例外的な献げ物であった。それを15倍もの値段で売りつけるとは、貧しい人々に対する神の御心・配慮を踏みにじる行為ではないか。イエスが両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返したのは、そのような搾取の現実を目にされたからかもしれない。
さらに、イエスが怒って暴れた理由がもう1つ。エルサレム神殿の境内は一番中心に本殿、その外に「婦人の庭」、さらにその外に「異邦人の庭」があった。イエスが怒ったのは、異邦人の礼拝の場をユダヤ人が、自分たちの礼拝の準備のための商売の場にしていたからだ。自分らは献げ物を買って両替をして、自分たちだけが入れる神聖な場所で静かに礼拝することができるが、異邦人たちはどうなるのか。貧しい人々から暴利をむさぼるやり方、そして異邦人の祈りの場所で配慮もなくわいわいと商売する有様。イエスは業者たちの商売道具を蹴飛ばしひっくり返さずにはおれなかったのだ、きっと。
キリストは、自らが十字架につき犠牲になって、私たちをあがなってくださった。だから、もはや今私たちは神に対して命の犠牲を献げる必要はない。私たちはただ日頃から多く受けている様々な恵みを、この世の宝という形で少しずつお返しするだけでよい。それを神が御心のままに使われ、それはさらにまた違う形で私たちに返ってくる。そして私たちは、キリストが今回の事件によって問いを投げられたように、礼拝とは何か、礼拝の場とはどうあるべきか、特に今はインターネットを通じてつながる方々もあるので、共に礼拝を守る、とはどういうことか、どうしたら離れた人々と共に豊かで力ある礼拝を守ることができるのか、ということも、改めて問い直してゆきたい。