お知らせ内容
3月10日 メッセージより
2024年3月10日 メッセージ「別れの食卓」より
水谷憲牧師
聖書 ヨハネによる福音書 12章1-8節
ベタニアは、イエスがマルタとマリアのきょうだいであるラザロを死者の中からよみがえらせた場所でもあった。イエスがそこを再び訪れた時、夕食が用意され、ラザロも共に食事の席にいた。そこに、マリアが高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でぬぐいはじめた。ナルドの香油1リトラは326グラム。イスカリオテのユダに言わせると300デナリオン、人が1年間暮らしていけるくらいの値打ちで売れる物であった。イスラエル歴代の王はみな頭から油を注がれて王になった。「メシア」「キリスト」という呼び名も「油注がれた者」という意味。しかしマリアはイエスの頭でなく足に香油を塗り、自分の髪の毛でぬぐった。マリアは「自分たちは救っていただいた立場。イエス様の頭に香油を注ぐことができるほど立派な者ではない」と考えていたのかも知れない。しかし、十字架による死に向かっているイエスのことも、マリアはうすうす察していて、そんなイエスに対する、マリアの心を込めた最大限のもてなしが、高価な香油をイエスの足に塗り、自分の髪の毛でぬぐうという一連の行為だったのではないか。
マリアがイエスの足に香油を塗ると、「家は香油の香りでいっぱいになった」。香油の香りは、油注がれた者に対する神の祝福の象徴。そして、この3人のきょうだいのイエスに対するたとえようもない感謝と慈しみ、思いやりも、その場を豊かに満たしたであろう。その一方、空気をまったく読めていないユダは「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と、興ざめなことを、もっともらしい口実をつけて言い、マリアを非難する。「貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」という言葉の意味を、誰よりもよく分かっていたのは、マリアたちきょうだい3人だったのかも知れない。
2週間後には受難週を迎え、イエスとの別れが訪れる。しかし、イエスといったん別れても、私たちには復活のイエスとの出会いが約束されている。イエス・キリストの十字架への歩みを、残るレントの日々、共に謙虚にたどっていきたい。