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3月17日 メッセージより

2024/03/17(日)

2024年3月17日 礼拝メッセージ「もちろん、不安はあるけれど」より

牛田匡牧師

聖書  ヨハネによる福音書 12章20-36節

 2月の半ばから迎えていた「レント(受難節)」も、早くも第5週目となり、来週からは最後の受難週となり、2週間後には「イースター(復活祭)」を迎えます。そのような暦を毎年繰り返していると、「受難」も「復活」も毎年恒例のことのように思えてしまうかもしれませんが、今から約2000年前にイエス様が実際に経験された「受難」は、決して当たり前ではない大変な苦難であり、自身の使命と、自分の身に迫って来ている危機的状況との間で、イエス様の心情は大きく揺れ動いていました。24節には「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」という有名な言葉がありますが、これもイエス様が自信たっぷりに弟子たちや、周りに来ていた人たちに対して、語り教えた言葉というよりは、むしろこれから先に何が起こるか分からない自分自身に向けて、「これから先、仮に命を落とすことになっても、それは無駄死にではない。そこから多くの実が結ばれ、新しい命がたくさん芽吹いて行くはずだ」と、自身を励ますために口から出た言葉だったのではないでしょうか。

 27節ではより明確に「今、私は心騒ぐ。『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか」というイエス様の不安な気持ちが述べられています。しかし、その一方で「私はまさにこの時のために来たのだ」と言って、自身の使命感についても言及されています。どちらのイエス様が本物でしょうか。その両方、不安と使命感の間で揺れ動くイエス様の姿こそ、私たち人間の本当の姿なのだろうと思います。もしもイエス様が、神の子、スーパーマンとして、何の恐れもなく、不安を感じることもなく、雄々しく受難への道を歩まれたのだとしたら、同じように出来ない私たちは、落第生になってしまいます。けれどもイエス様は私たちと同じ一人の人間として、自身の使命に対する熱い思いは持っていながらも、同時にいつも迷い、恐れ、そして祈りながら、歩みを進めて行かれました。さて福音書の時代から2000年を経た現在でもなお、世界には様々な問題があふれ、人と人とが互いに傷つけ合っています。一見すると絶望しそうになることがあったとしても、それでも世界が暗闇に閉ざされてしまうことはありません。必ずそこにも光があります。なぜなら、十字架の先には復活があるからです。もちろん、一切の不安がなくなるわけではありません。ですが、神様が常に共にいてくださいます。私たちは日々、神様に支えられながら、与えられている道に歩みを進めて参ります。

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